supeinnkaze
スペイン風邪は3年間人を殺し続けた。
春に始まり、秋に再燃、翌年まで続いた。
新型コロナがそうならないという保証はない。


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日本古代史だけではなく、世界の古代史を見るとき、筆者は決して忘れてはならない概念としての網野史観は必要だと思っている。その史観とは、考古学の松木が具体的に書いた「へテラルキーからヒエラルキー」への移行期にある。

日本古代史では、それは古墳時代の始まりにあると言える。

古墳時代の始まる3世紀までの日本は、弥生時代であってもまだ縄文的へテラルキー世界であった。つまり身分・階級制度の甘い、土族的な世界だ。しかし墓を大きくする財力を、農耕という安定がもたらしてからは、時代は現代と大差のない、ヒエラルキー、つまり階級差とその誇示が顕著になった時代だと言える。

階級差は当然、現代と同じ格差を生む。格差が生まれれば、これまた当然、差別も生まれる。

網野善彦は中世史という、差別が顕著になった時代の分析者だったからこそ、古代どこからそれが生まれたかに気が付いた。それが古墳の大小にこそ現れたことに気が付けた。松木はそれを西洋哲学・社会学用語の”へテラルキーとヒエラルキー”という言葉で、見事にわかりやすく対照的に表現した。

縄文までの人類は、階級がないがために、病人・けが人・老人の介護にも一族でとりかかれ、そこには現代人にはない、今はなくしてしまった郷愁と復古観を、現代に生きる人々は観る。しかし弥生以後~現代は、階級社会になったことで、今やついに行きつき、介護は他人が生きるための「仕事」となるに至った。その階級社会を作り出したのが穀物栽培=農耕であった。

穀物を栽培するには、広い耕地が必要で、それはイコール森林伐採の開始を意味する。森林伐採が農耕と牧畜を生むのは東西まったく同じだ。人が生きること=環境破壊である。地球規模の視線ではすなわち、人類こそは悪になる。

近くはモンゴルの大平原がまさに森林を失った前例だろう。それを環境破壊の始まりとする人は多い。それらは大陸で始まり、3世紀までに日本列島にもやってきた。だから3世紀は日本史の画期。それが大古墳を生む。階級世界が生まれたから飛鳥時代が必然的始まり、朝廷が生まれた。

そのように歴史はつながって、人類の「進化」はそこに見えるわけだ。しかし「進化」かどうかは、これからの現代人の変化にかかっている。その「進化」でいいのか?それが感染症や環境破壊を生んだのではないのか?でh、今後のわれわれはどう生きればいい?


その答えを新型コロナから得られなければ人類に未来はあるまい。

コビット19は、スペイン・インフルエンザの前例で見る限り、この秋に必ず、もっと強烈に進化して再登場する。この紫外線の真夏に、生活を復元できなかった者、変革できなかった者はきっとその犠牲になることだろう。間違いなく。
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