「アナトリアは世界最古の製鉄が行われたという記録がある石版が出た場所で、大村氏はもう20年以上前からここに製鉄遺構を探しに単身留学し、新しい成果をどんどん出しておられます。」
kodaisihakasekawakatu.blog.jp/archives/16265885.html

 
この一文は2007年に筆者が鉄の歴史を調べたときに、このブログに書き込んだ記事の中の抜書きである。

今では筆者自身が果たして鉄はヒッタイト、あるいは隕石(いんてつ)から始まった、で本当によかったか、と自問自答している。

石版や金石文、つまり記録がそうだから、それでいいかどうか・・・思えば、自分自身の分析に対して、その後なんら手を加えていないような気がする。いや、むしろ記録こそをもっと信じないことこそが科学の真実なのではないか。
 
当時、すでにアッシリアの方が古い可能性については言及していた。しかし、以下のようなWikiの指摘がある。


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「今のところ製鉄技術が普及し始めたのは紀元前25世紀頃のアナトリアと考えられているが、鉄の利用自体はそれよりも古い。メソポタミアでは紀元前3300年から紀元前3000年頃のウルク遺跡から鉄片が見つかっている。また、エジプトのゲルゼーからも、ほぼ同時期の装飾品が見つかっている。これらの鉄器はニッケルの含有量から隕鉄製と考えられている。鉄利用の開始は更に有史以前に遡ると思われるが、詳細はわかっていない。カマン・カレホユック遺跡やアラジャホユック遺跡、紀元前20 - 18世紀頃のアッシリア人の遺跡からも当時の鍛鉄が見つかっている。」

 
記録があるからといって、それだけが正しい歴史とは言えない。
そういいながら、それ以上を探ってこなかった。それを反省せねばならない。
 
パイオニア然として、過去の検証を放置しているようでは、日本の文献歴史学となんら変わりがない。進歩がない。
同時に、少なくとも紀元前2500年には確実に始まっていた製鉄が、なにゆえに極東の日本に到来するのに2000年以上もの年月を要したかについてももう一度確認せねばならないだろう。
炭素14による稲作が九州から近畿へ到達する期間を考えてみても、同じことだからだ。
以前は弥生時代(=稲作の開始)のはじまりは今より500年も遅い、紀元前500年だったが、今では北部九州から出ているプラントオパールの炭素年代から紀元前1000年にまで500年もさかのぼっている。同じことを筆者自身も鉄に対して再考察しないわけにいかない。
 
もしかすると、製鉄は隕石の中の隕鉄の加工から始まった、についてもい再考察が必要かもしれない。
今後は、そういう再検討を過去の記事にしていかねばなるまい。
 
 
 
 
 
 
 
たとえば東アジアにおける文化の自発的派生も念頭に置くべきかもしれない。
それは引いては人類史の中の、アジア人、古い言い方だとモンゴロイドの派生すらも、そもそもオリジナルであった可能性はないか?という試論を念頭に置くことにつながる。
 
なんとなれば、現代の世界史もまた、日本古代史同様、西欧史学・キリスト教的見地の、いわゆる「至上主義的」「恣意的」な本位主義に頼っているからだ。もっと東洋は東洋のまとまりを持った史観を持たねばなるまい。それは政治的にも、早期の世界基準の完成への早道だろう。
 
要するに、ぼく自身は、おそらく生きている間には実現しないであろう地球連合が完成できる観念的基盤を作る宿命が歴史学にはある、というはるかな理念でつまらない一文をこうして書くのである。
筆者自身の夢は悠久で、果てしない。
 
真の平和とは、真の理解である。
勉強し続けることだと思っている。全人類が。
超克こそがすべてを平和にするはずである。
 
 
 
 
違うか?
 
 
 
どんなに学習したってぼくにもわからないことは山ほどある。だから歴史は面白い.


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