聖武天皇の御世は、実に疫病が多かった。その理由は大陸での気候風土の一時的悪化、それに伴う渡来人が持ち込んだ病原菌にあったことは間違いない。というのも、当時の日本列島の気候はまずまずで、そこには直積的な原因があったふうには見えないからだ。『日本書紀』に ...
2017年11月
和を以って尊しとなすは論語がオリジナル・・・を叫ぶ中国習近平のトランプ歓迎の翳に見えた日本への過剰なライバル意識
太和殿、中和殿、保和殿を案内した習近平氏。その様子を中国中央テレビは「両国首脳が『和』という伝統文化を体感した」と伝えている。中国側は相互尊重や、協力姿勢を強調する狙いだったのでは。専門家いわく、先代・胡錦濤氏の頃から「和をもって尊しとなす」といった ...
大彦・多氏・応神・・・ 磐井は国造ではない、岩戸山は磐井の墓ではない 国造は吉備王家出身 刑部の系譜
筑紫国造家つくしの・くにの・みやつこ「筑紫国造とは筑紫国(現・福岡県西部)を支配したとされ、国造本紀(先代旧事本紀)によると成務天皇(13代)の時代、阿部臣(あべのおみ)と同祖の大彦命(おおひこのみこと、大毘古命)の5世孫にあたる田道命(たみちのみこと ...
風の古代史・中世史 その3 村上水軍『船行要術』の気象認識
『一品流三島村村上流船行要術』村上山城守雅房 康正二年(1456)むらかみ・やましろのかみ・まさふさ いっぽんりゅう・みしまむら・むらかみりゅう・せんこうようじゅつこの書は日本における気象学最初の著書。成立時代は足利義政(室町幕府八代将軍)の頃。後花園天皇の ...
長男じゃないと家の墓には入れない?
これは宗派や地域に限った悪習である。特に地縁的結合の残存度の高い田舎には、いまだにそういう風習がある。これは大分の友人に昨日はじめて聞いた話だが、大分では坊主にそう言われるらしいが、そんなの大分だけですよ。と言うのである。●●家の墓・・・昔はそれが必 ...
湯気と冷気そして風が起こるのは
熱いものから立ち上るもやを湯気(ゆげ)と言う。テレビをながめていたら、寒いのに火野正平がコーラフロートを飲んでいる。それを見てNHKスタッフが「湯気というのか」などと申しておる。冷たいものから出てくるもやは、じゃあ、なんと言えばいいのか?これがなかなか難し ...
任那日本府
『日本書紀』では日本府を「やまとのみこともち」と訓読指定してある。「みこともち」とは「御言持ち」で、天皇の言葉を伝える役目の者という意味である。するとそれは施設というよりも使節が最初の意味合いだったわけであろう。すると大宰府が「たいさいのみこともち」 ...