民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

2014年06月

          ●◆吉備系弧帯文・直弧文を持つ遺跡・遺物一覧(年代順)(弧帯文と直弧文にはあきらかな帯状弧文という類似が見られるが、纏向弧文二点については帯状よりも唐草状と判断してここでは除外した) ●縄文時代後期(約3000年前)新潟県村上市山北町    ...

   岡山県の重要な弥生遺跡   ◆楯築遺跡 Tatethuki-Iseki たてつき・いせき   岡山県倉敷市矢部の丘陵上にある弥生時代の墳丘墓。楯築墳丘墓ともいう。双方中円墳である。古くは片岡山古墳と呼ばれていた。国の史跡。王墓山丘陵の北側に弥生時代後期(2世紀 ...

     「(縄文時代の)環状集落の平面プランに当時の社会(縄文社会)を読み取る作業は、さまざまな研究者によって、もう何十年も続けられている。マルクス主義の歴史学が華やかだった1970年代までは、真ん中の広場をたくさんの住居が囲んでいるところから、縄文時 ...

 今回は思い切り自由に、邪馬台国を決め付けてみよう。    大阪市の人口が東京都よりも多かった時代をあなたは知っていますか?からはじめてみようと思う。するとそれが2~3世紀のヤマトにそっくりだと気づくはず。    ◆大大阪市時代とは「明治時代に隣府で ...

 古い認識での青銅器二大文化圏のとらまえ方これがわれわれが学校で教わって来た古い認識の銅剣・銅戈と銅鐸文化圏の図式製作が井上光貞作というから、もう今から50年も前のものである。   最新の図式2009年以降、それまでの発掘結果から見直された図式である ...

 先史時代を一貫して考古学をメインにした年表で、日本の太古~古代を俯瞰しておこう。松木武彦作考古学年表に、加筆編集して掲載する。6/20画像を大きく変更。    その時代の重大なキーワードにはピンク線を引いた。その時代時代を象徴する言葉をそれぞれ独自に書 ...

       縄文時代の人口は明確に「東高西低」である。ところが縄文時代中期から後期にかけて、気温の寒冷化とともに、関東・東海・中部地方で特に顕著に、人口が激減し、逆に西日本では微増する。そして弥生時代に入ると、人口分布は完全に逆転して「西高東低」と ...

    ◆形質人類学・骨相学と考古学の出会い人びとの集まり(Peaple)をゴードン・チャイルド(1892~1957)は考古学的にパターン化できると信じた。考古学的に同種の文化の分布は、すなわちそこが、その文化の担い手たちが作り上げた居住地だということであり、 ...

  考古学では、一般的にではあるが、巨大古墳の被葬者とは、その時代に財力も知名度も持ちえた大王・豪族の墓であると自動的に考えてしまう傾向にある。 あるいは被葬者の腕に、山ほどの腕輪がはめられていた場合、これでは農業には従事できない、つまりその地域で特 ...

       全文引用(つまりいい記事) 「福岡県前原市有田に平原(ヒラバル)遺跡がある。昭和四十年に発見され、この時の調査主任が考古学者の故原田大六氏で、三種の神器の※八咫鏡(ヤアタノカガミ)と平原遺跡出土の鏡の大きさがよく似ていることから平原遺跡の ...

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