「永暦元年(一一六○)に鋳造された梵鐘に「葛上郡字馬屋戸」とみえている(吉野・世尊寺旧蔵の鐘)。」http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/write.htmlこの梵鐘とは奈良県金峰山寺(きんぷせんじ)銅鐘の銘文(寛元二年 1244)のことかとも思うが、そうで ...
2012年12月
ツタンカーメンのラピスラズリ・クフ王の赤色花崗岩
ツタンカーメン王の黄金のマスクに使われたラピスラズリ◆ラピスラズリ(瑠璃)画像http://arth-mineral.jp/index.php?main_page=product_info&cPath=10_40&products_id=18871古代オリエントにおいて「天空の青い石」「蒼天のかけら」とも言われたラピスラズリは、金銀に次い ...
食国(おすくに)の意味から蘇我氏台頭の謎を解く3 的臣・雀部朝臣・塩屋連 みささぎ語源
押せば順位がひとつあがります ↓ ↓With2ブログランキングへ↑ ↑ ↑blogramランキング参加中!1 的(いくはの)臣●兵庫県淡路市育波(いく・は)平城京跡出土木簡・・・「津名郡育播郷」「津名郡育波郷」「和名抄」・・・「津名郡育波郷」読み方「以 ...
阿弖流為と坂上田村麻呂 2
With2ブログランキングへ「参考文献 日本後紀巻第十 延暦二十年より 801年① 802年 延暦二十一年春正月丙寅(ひのえとら11日)従三位坂上大(おお)宿禰(すくね)田村麻呂を遣わして陸奥国の胆沢城を造らしむ。岩手の胆沢に諸国(駿河・甲斐・相模・武蔵・上総 ...
阿弖流為と坂上田村麻呂 1
体調不備でしばしお休みしておりました。With2ブログランキングへ「阿弖流為(あてるい)は今から約1200年前、現在の奥州市水沢区付近で生活していた蝦夷の一人です。当時『水陸万頃(すいりくばんけい)』と言われていたこの胆沢地方と蝦夷たちを統治したい朝廷軍との戦い ...
植山古墳東石室入り口密封の謎/推古も竹田も遺体なし!
With2ブログランキングへ当然押してますね?↑●石室入り口、土で固める=推古天皇合葬説の植山古墳-奈良推古天皇母子の合葬説が有力な植山古墳。写真は竹田皇子が葬られたとみられる東石室で、手前が石棺、奥が入り口=12日午前、奈良県橿原市 飛鳥時代の女帝・推 ...
書紀講筵/遠藤慶太『日本書紀』に捏造・創作ははさめない説
史書について疑義するとき、常に自説や疑義すること自体に反対の視点が存在することには気配りすべきである。そこで筆者はできるだけ、疑問提示するほうの参考文献と、反対に『日本書紀』に捏造や改ざんはなかったとする参考文献の双方を同時に読むことにしている。今回の参 ...
応神・仁徳不在説/森博達の『日本書紀』音韻分類
小市民の「あの星をとってきてちょうだい」的正論に迎合して国際社会の中の位置をあやうくしてきた自民・民主政治へのレクイエムWith2ブログランキングへ蘇我氏の分析をやるということは、飛鳥時代の始まりを疑義することである。ということは当然、飛鳥時代直前の二朝 ...
食国(おすくに)の意味から蘇我氏台頭の謎を解く2
氏姓制度の氏族の中で臣姓を持つものの大抵は居住した地名を氏族名にしている。武内宿禰末裔葛城系氏族のすべてが特に顕著にそうである。だから蘇我臣氏の「そが」も、 奈良県橿原市曾我の地名である「宗我」に入ったことからの名乗りで、蘇我氏名から彼らがどこから来たかは ...
古代とチーズ三題
古代日本のチーズ「蘇」http://fukuma.way-nifty.com/fukumas_daily_record/2009/10/post-3971.htmlWith2ブログランキングへ●7000年前にチーズ作り、土器に証拠発見 ネイチャー【AFP=時事】およそ7000年前に既に先史時代の人類が土器を使ってチーズを作っていたことを ...