2011年01月

島根県にはアイヌ語のような地名がいくつかある。明治時代には日本地名の多くはアイヌ語派生説が主流を占めたが、今は、アイヌは陸封縄文人ということで一致。するとそれらのアイヌ的地名の大本は?アイヌが縄文の特殊化した一派であるとするならば、ツングース系やらの縄文 ...

長々と饒舌に書き綴ってきたこのシリーズもようやく完結を迎えた。邪馬台国はいったいどこにあったのか?そんなことはわからないほうがいい。けれど知りたい。仮説でもいい。なにか新しい着想はないものか。そこから開始されたこのブログの役目も、ようやく大団円を迎えるこ ...

■会津盆地の古墳群「会津盆地には三つの同時期(4世紀前期から中期)に派生した古墳群がある。会津最古の古墳・杵ガ森古墳などを擁する宇内青津古墳群、四道将軍大彦の古墳と以前は言われていた会津大塚山古墳を擁する一箕(いっき)古墳群、そして前方後方墳墳と方墳で構 ...

With2ブログランキングへ●倭人・弥生人の特定と馬王堆遺跡文明の再論紆余曲折の末、ここまでで、ほぼ「弥生人の本拠地である長江流域」という結論に到達した。ミャオ=楚人にも、もちろん可能性はあるが、残存するY染色体分析では、楚人が来たことは証明できず、投石 ...

●縄文人はD系列北方アジア人、弥生人はO系列南方倭種○長江から来た弥生人長江流域からやってくる長江文明人(O系統)たちは、現地でベトナムと華北へ移動している。ベトナム人Y染色体亜型の14%がO2b遺伝子系統を持っている。O2b系統はオーストロアジア系人種 ...

邪馬台国追補解説「弥生人」とは?●●弥生時代の「倭人」とは北西部九州の甕棺墓氏族ですべてが整合!●●DNA多型Y染色体分析による日本列島中間部(九州・四国・本州)へ流入した主なヒト集団のホームランド(地理的ルーツ)および文明・文化(文化的ルーツ)■北部九 ...

それはゴホウラガイと甕棺墓変遷の分析がそうさせます。それがこれからの邪馬台国仮説の中心命題へと必ず考古学者も史学者も向かうことになるのです。間違いなく。だから、ここでこのブログから立ち去ると、九州説の諸氏・・・特に東遷支持の人は大損をします。遠回りするこ ...

間違いなく古代人はゴホウラに魂魄を見た!先端研磨によって巴形に到達したのだ。自信が持てた。With2ブログランキングへ■甕棺墓「アジアでは、まず黄河文明期の中国に現れている。ほとんどが乳幼児のものであり、成人のものは華北西部のみに分布する。また、東南アジ ...

With2ブログランキングへ「金隈遺跡は福岡平野の東部、御笠川に沿って南北に伸びている月隈(つきぐま)丘陵のほぼ真ん中あたりに位置している。近くには、日本でも最古の水田跡の一つと言われる板付遺跡や、すこし南下した春日市には、奴国の中心地ではないかと推測さ ...

土井ヶ浜・・・。山口県の日本海側、そこを訪問したのはもう今から6年以上も前のことだ。With2ブログランキングへ北九州関門大橋から高速で美弥。そこから日本海側豊北町を目指す。川棚温泉、日本海のうねる海岸線をオレンジ色のガードレールに沿ってうねうねと走る。 ...

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