民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

2010年08月

「地元の「猪飼野保存会」では[2]を「猪甘津の小橋」 に比定して居ます。[2]の地点に現在「つるのはし跡」公園という小さな公園が在り、右上の写真が「つるのはし跡」の石碑です。多分 [1]付近やその左隣の天王寺区小橋町辺りに、『古事記』に言う「小椅の江」と呼ばれた入江 ...

「三内丸山遺跡東北部の墓域には列状に墓がならんでおり、なかには他にくらべてすぐれて大きいものがみられる。また、土器に入れられた者、穴に葬られた者の別がある。その明確な差は社会階層をしめすものであろう。さらに、北側の谷から人骨が発見された。墓に埋葬されず、 ...

残暑厳しいままなので、難しい解説ははしょり、できる限り簡略に書きたい。■これまでの西欧唯物史観からの脱却とギリシア文明開始★1唯物史観これまで戦後日本では津田左右吉が提唱した唯物史観が史学者を呪縛してきた。それは皇国史観に対抗するためのやや極論だった部分 ...

明治以降の日本の近代化は、ご存知のようにイギリス・ドイツなどのヨーロッパ文明のコピーから始まる。最近では、欧州史学から学んできた日本の史観も、脱ヨーロッパへと急速に向かい始めている。日本が一時的に帝国主義・植民地主義へ傾いたのも、明治の各分野の賢人たちが ...

西欧に溜飲を下げたい日本人のための世界史 2■■2歴史は繰り返す 差別という因果応報が人類史を作った★1 弱肉強食が人類の基本的残照本能第一章で書いた差別からの人類史開始が、その後も延々と続いていくと、人類はついに帝国主義、植民地主義という、究極の理屈を見 ...

日本の古代史に関しては、頭の中が飽和状態になりましたので、しばらくお休みします。新しいことがしたくなった。代わってほったらかしにしている部門である、世界史、特に西欧史はこれまであまりに西欧側からの都合のいい分析ばかりですから、日本人が見た、西欧史を書いて ...

『日本書紀』壬申の乱の行程671年     郭務悰ら唐の使者来朝、軍隊の援助を要求。12月3日天智天皇死去。         大友皇子、唐援軍を決定。672年(壬申) 大海人皇子=天武は天智の死の直前から吉野に隠棲していた。そこへ五月になって朴井連雄君( ...

日本国が真の意味で国際的に国家と認識される中央集権国家に抜け出したのは、天智・鎌足の模索的な律令政治から、嫡子・大友皇子が「太政大臣」を名乗る頃からだったと言える。■「太政」とは「国家、あるいは皇帝の政治」という意味の国際政治用語である。大友皇子の太政大 ...

大山誠一も書いていることだが、日本の天皇というものはそもそも藤原不比等がはじめ、藤原氏を光り輝かせるための存在から開始されているようである。その前の蘇我飛鳥王朝までは「天皇」もいなければ、皇室もない。蘇我大王家こそが大王だったのである。この時点では天皇を ...

蘇我馬子は実質の大王だった。この時点で馬子の妻だった太媛(物部布都媛、大刀自)の存在が次第に気になり始めるのではなかろうか?女帝推古はいなかった。では権力者・蘇我馬子に物部守屋をうたせ、祭祀の実権と土地・財力のすべてを手中にした太媛とは、実は大王を動かせ ...

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