民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

2010年03月

関東、関西とはそれぞれの「関」を基準にして東西を言う。関は関所であるから、京都から見た関東とは、京都の逢坂の関から東のこととなる。ということはお隣の滋賀県から、もう、昔は「関東」だったことになってしまう。鈴鹿の関、不破の関もある。滋賀県の東のはじっこにあ ...

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■縄文時代  ●貝塚・・・牛窓町黒島貝塚・黄島貝塚  どちらも縄文時代には瀬戸内海に浮かぶ小島で、当時は縄文海進によって陸地と切り離されていた。今は地続き。つまり縄文海進が実際に起こったという証明の土地が牛窓である。下層部はヤマトシジミを主とする貝塚。つ ...

あくまで諸説のなかのひとつに過ぎないが・・・。関東地名由来神奈川 http://chimei-allguide.com/14/000.html     金目川を昔は金川と呼んだか?韓川由来も捨てがたし。群 馬 http://chimei-allguide.com/10/000.html     車持朝臣居住地からというのが最も信 ...

出雲・吉備・近畿・東国ラインからなぜ九州ははずれていったか?■「文献史学的には、キビツヒコの事績はそれほど詳しく伝えられているわけではない。『古事記』では、彼は孝霊天皇の皇子の大吉備津日子命(オオキビツヒコノミコト)の名で登場する。姉に箸墓古墳の被葬者に ...

■上下、毛野(かみつけ、しもつけ)の由来『万葉集』巻十四「東歌(あづまうた)」で上毛野は「可美都気努」「可美都気野」と読むようにとの指定がある。「野」は「ぬ」と読んでもよいし、「の」と読んでもよいことになる。つまりこの「の」「ぬ」は異音でも意味は同じ「~ ...

■美作国は和銅六年(713)、備前守だった百済王南典と同じく備前介・上毛野朝臣堅身(かみつけぬ・あそん・かたみ)の上申によって新設された国。現在の岡山県津山市あたりである。初代国守には上毛野堅身が就任した。東国、群馬周辺をを出自とした毛野(けぬ)氏出身の ...

正岡子規を出すことでも著名な伊予の水軍・越智、河野、村上一族の特に河野一族に伝わる『予章記』に、小千守興(おちもりおき=越智守興)という人物が抑留中にはじめて中国伝来の陶器の茶碗を使った話を、森浩一が引用している。森は、陶器の茶碗を使うということは、河野 ...

生田滋「東南アジアの伝統的な国家のほとんどは、農業を経済の基盤とはしていませんでした。言い換えれば、国家が支配する対象は農民ではありませんでした。国家の経済的な基盤は、貿易に対する課税、あるいは貿易活動そのものでした。従って、国家にとって重要であったのは ...

■租租は米田1段につき2束2把これは収穫量の3%~10%に当たり、原則として9月中旬から11月30日までに国へ納入され、災害時用の備蓄米(不動穀)を差し引いた残りが地方行政の主要財源とされた。しかしながらこれでは歳入としてはあまりに不安定であったため、律令施行よりまも ...

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