2009年09月

天武・持統の昔、長野は次期首都候補地だった。『日本書紀』天武十三年二月(684)「三野王(みののおう)、采女臣筑羅(うねめのおみ・ちくら)等を科野に遣わし地形を看させて曰く「是の地を都とせんとするか」と。」同年四月三野王、科野国地図を提出。十四年科野に行 ...

2007年3月に日韓共通素材・『日韓交流の歴史』という日韓教科書の大本とするための本が、日韓歴史教科書研究会によって出版されている。日本側は歴史教育研究会、韓国側は歴史教科書研究会の共同編集である。古代から現代までの、両国の交流と行き違いなどが順序良く並 ...

アメリカの文化人類学者・ファーガソン[Ferguson]の唱えた「セデンティズム(定住生活)が平和を破った」という説が「戦争定住起源説」(1997)である。「移住する採集民集団は他の集団との関係が悪化すると敵対した相手の前からすばやく離れる。そうすることでほとんど ...

かわかつの眼Kawakatu’s eyehttp://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.htmlヤフーカテゴリーは科学、社会科学ブログ村カテゴリーは社会科学、歴史、料理であります。これにて心象儀館かわかっちゃんのささいな大遭難と復活版!かわかつワールドは更新 ...

ほかのふたつのブログ(復活版かわかつワールド・心象儀館かわかっちゃんのささいな大遭難)を閉じてヤフーへ移ります。そこんところよろしく!!もっと面白い、自由なブログに変えてゆきます。ただし、どちらも過去ログがありますから、心象儀館もかわかつワールドもほった ...

スキタイ研究に欠かせないのが北方三大勢力だった東胡、月氏、匈奴の区別。匈奴の首長は「単于(ぜんう)」である。筆者はこの単于を字のままに解釈して「ひとりでも行く」、つまり英雄を指す言葉だと思っている。しかし、この当時、匈奴の単于「頭曼(トゥマン)」という人 ...

少彦名(すくなひこな、すくなひこ)も医療の神である。それでこの神を祭ることが多い全国出雲系粟島神社にはのちに薬師が垂迹していることが多い。粟は古くから畑作農作物のひとつだが、なぜか粟畑と言わず粟田(あわた)と言う。森浩一がこれについて禾は粟で、どちらもア ...

蜂田薬師とは古代の薬部(くす・べ)である。つまり往古の渡来薬剤師一族だろうか。『新撰姓氏録』和泉諸蕃 「蜂田薬師は呉王孫権の裔なり」この場合、孫権(そんけん)は三国志時代の南朝の王のことを言っているわけだが、実際に「呉」と言った場合、それはまず「くれ」・ ...

スキタイは、これまで書いてきたように中央アジアを発してユーラシア大陸の東西に遊牧を広げていったが、その文化は一貫して積み石塚円墳の埋葬に代表される共通文化である。西に拡大したスキタイは、ギリシャやバルカン半島、西アジア諸国、そしてローマなどの中近東から西 ...

このスキタイシリーズは、騎馬遊牧民族の歴史とフン族、そしてその世界的移動と時期、それによって融合して伝播した東西文化、そして最後にそこから日本との共通点があるかどうかまで連続させるつもりである。おつきあいのほどを。なお、記事公開は必ずしも連続するわけでは ...

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