民族学伝承ひろいあげ辞典

文献・科学・考古学・遺伝子学・環境学・言語学・人類学・民俗学・民族学 あらゆるヒントを総合し、最新用語を解説、独自に解釈してわかりやすく説明します。 誰も書かない、目から鱗、鼻から牛乳、目から火花、頭の先からぴかっと電球

2009年01月

 奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末-4世紀初め)について、市教育委員会は30日、かつて神殿跡の一部が発掘された遺跡中心部を2月から学術調査すると発表した。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090130-00000634-san-soci面白いと思ったらクリックよろ ...

「弥生時代中期中葉から後半(1世紀)にかけては、北部九州では鉄器が普及し、石器が消滅する時期です。ただし、鉄器の普及については地域差が大きく、全国的に見れば、弥生時代後期後半(3世紀)に鉄器への転換がほぼ完了することになります。さて、このような多量の鉄器 ...

本日最新情報。瀬戸内と畿内を結びつける国内最大の鍛冶工房遺跡発掘。http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090122/acd0901222210005-n1.htm村上恭通教授コメント付き。神戸新聞の情報http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000853903.shtml面白いと思ったらクリック ...

肥後国における火明命&聖徳太子信仰と石工1 『下浦石工物語』・・・熊本県天草市下浦町に伝わる石工の信仰は太子信仰である。天草は阿蘇ピンク石や阿蘇凝灰岩を産する宇土半島・八代海沿岸に対面する石産地である。2 『神社神明帳』石神(いしがみ)神宮記録・・・石神 ...

垂仁記「天皇は大后の亡くなった時に、石祝作(いしきつくり)と土師部(はにしべ)を定めた。大后は狭木の寺間の陵に葬られた。この天皇の御歳、一百五十三歳(ももあまりいそぢまりみとせ)。御陵は菅原の御立野の中にある。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ...

菅原孝標女『更級日記』足柄山(すがわらたかすえがむすめ「さらしなにっき」あしがらやま)より  「足柄山(あしがらやま)といふは、四、五日かねて、恐ろしげに暗がり渡れり。やうやう入り立つふもとのほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず。えもいはず茂り渡り ...

石切りの道具(現代)ツルハシ(石材表面を削る(ムシリという)用具)ソコトリ(狭い目の歯を持つノミ)ヤチ(広めの歯を持つノミ)ノミハビシャン(ハビシロン・薄い両刃の斧のようなもの。ツルハシのあとでもっと細かくむしる)タガネヨキ(オノ)チュウノ(中斧)セット ...

熊本県装飾古墳館編『阿蘇の灰石』解説図録より面白いと思ったらクリックよろしく!↓ブログ村民俗学・民族学カテゴリーに登録しました。歴史カテゴリーは考古学・古代史に統一しました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ...

『播磨国風土記』揖保郡立野条「土師弩美宿禰、出雲国へ往来し、日下(原文は日の下に下)部野(くさかべの)に病死す。その時、出雲の国の人、来たりて、人衆(もろびと)を連ね立て運び伝え、川の礫(小石)を上げて、墓の山を作りき。故、立野(たちの)と号く(なづく) ...

現代「祝」と書けば「祝い事」「ハレ」の意味しかない。宮崎県と大分県の県境にある祖母山を、国道を下りしばらく川沿いを行くと、右側に大崩山というかつての火口のある山が見えてくる。その山麓に「祝子」と書いて「ほおり」という部落がある。祝部という部が古代にはあっ ...

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