2008年04月

阿蘇葦北紀行は第4章まで進み、阿蘇ピンク石が実は王朝交代の石だったことがあきらかにされましたよ。王家の交代劇の陰で葦北国造がいかに力をもっていたか、彼らが吉備臣子孫で、応神王家の姫の子孫だったこともわかりました。吉備王国の衰亡の陰で熊本の葦北にいた吉備臣 ...

With2ブログランキングへなぜ熊本の古墳に菊花紋なのか?推定1 中央が、阿蘇ピンク石を使用するための権威を許可した。推定2 この氏族と中央王家にもともとえにしがあった。推定3 この氏族から王家が出た(まさか)推定4 この氏族がもともと菊花を紋章としてい ...

With2ブログランキングへ簡単に紹介しておく。画像は熊本県人吉市の、二カ所の、ある横穴古墳群にある壁画装飾のひとつである。一般に車輪紋、菊花紋などと言われているらしい。円形に刻み込まれた輪の中に8本の径線が掘られている。簡単に言うとミカンを輪切りにした ...

2008年までの最新考古学での「古墳」の規定はほぼつぎのような概略で把握されているようである。●少なくとも2世紀後期に造営が始まり7世紀までに続いた、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳などの総称。●これ以外は「墳丘墓」と呼ばれる。たとえば四隅突出型墳丘墓 ...

技術国家といわれる一世紀の北部九州で、特にふたつの地域にだけ巨大な首長のめばえがあった。ひとつは福岡県春日市、奴国の丘歴史公園内にある須玖岡本(すぐおかもと)遺跡、今ひとつは糸島半島前原市の三雲南小路(みくもみなみしょうじ)遺跡である。おそらく日本最初の ...

2008年3月のおすすめ参考文献荒木精之 牛島盛光他『日本の伝説26 熊本の伝説』角川書店 昭和53森浩一『魂の考古学 時の過ぎゆくままに』五月書房 2003新谷尚紀『日本人の禁忌』青春出版 2007高平鳴海・糸井賢一・大林憲司・スクエア共著『鬼』新紀元社 ...

俗名橘永(ながやす)。法名は初め融因、のち能因に改称した。父は肥後守橘元(もとやす)かという。子に元任と女子一人がいる。大学に学び、文章生となるが、長和二年(1013)、二十六歳の時出家し、摂津国に住む。諸国を旅し、奥州・伊予・美作などに足跡を残した。ことに陸 ...

「相良村初神の白鳥神社 (熊本の伝説 日本の伝説26 角川書店、昭和53年より) 人吉願成寺町では旧暦2月の五日、七日、九日に市が立ち、平家の落人が作りはじめたという伝説をもつ、雉子馬や市箱が売られる。寺名が町名になった願成寺は、相良氏入国のとき遠州相良から僧 ...

「景行天皇の熊襲征伐:白髪岳や狗留孫(くるそん)渓谷一帯に住む熊襲 (熊本の伝説 日本の伝説26 角川書店、昭和53年より) 合戦の峰から南に2キロほどで人吉に入るが、芦原に天子という石の小祠がある。熊襲征伐にちなむもので、肥薩の国境に高くそびゆる白髪岳(1416 ...

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