2008年02月

傀儡子や磯良舞いの神楽では、最初に意味不明の発声がある。これはいわば、磯良を呼び出すための呼び声である。「阿知女々々々於々々・・・」という。「あちめあちめ」と呼ばれて、磯良が「おお」と返事するのである。折口信夫は細男を「才の男」と考え、才は海系、大人(お ...

『傀儡子は定まれる居(おりどころ)なく、当(まも)る家なし穹廬氈帳(きゅうろせんちょう=空の下、葦の中にムシロを広げてとばりとし)、水草を遂(お)いてもて移徒す(=水と食物を抱えて移動する)頗る北狄(ほくてき=北の蛮人)の俗(ならび)に類(に)たり男は皆 ...

美しいという文字はふたつの要素から構成されている。「羊」と「大」。中国では美の基準が羊の大きさにあったことになる。『漢字』から。面白いと思ったらクリックして!→https://history.blogmura.com/にほんブログ村 歴史ブログ http://www.tokyovalley.com/yahoo_blog/ ...

修験道の聖地に入るための架け橋である。この橋を渡るとその先は菊理姫(白山比売)のいる黄泉の国。おやまを巡って帰ってくれば黄泉がえりと相成る。ゆえに登山という行為そのものが「巡礼」なのだ。それは母親の胎内をゆくような、いわゆる「胎内巡り」なのである。写真の ...

折口信夫『大嘗祭の本義』「にへ・には・にうは、贄(にえ)と同根語である事が訣る。にへのいみといふことで『のいみ』といふことが『なめ』となつたのである。」・・・・・・・・・・・・・・・・・「にえ」とは生け贄などと言って忌み言葉になることが多いが、本来は「租 ...

「(私が谷川健一に同行して四天王寺を訪れたとき聞いたのは)守屋廟は、聖徳太子が物部守屋の乱を平定後、四天王寺を創建したときに、敵将の守屋の霊を祀るため、建立されたとの伝承があるが、私はその時、敗北した守屋の奴(やっこ)が四天王寺に奴婢(ぬひ)として引き取 ...

ニコライ・アレクサンドロビッチ・ネフスキー「柳田國男への書簡」から「北神谷(きた・かべや)の鎮守様はご承知の通り白山神社です。これをあやまってシラヤマ神社と言うと百姓が非常に怒るそうです。『我々は立派な百姓ですが、○×○ではあるまいし』と」・・・・・・・ ...

柳田國男『海上の道』所収「稲の産屋」より「曾ては日本の西南一帯の地にも、産屋をシラと謂った時代があつたのではないかと私は考えて居る。ほゞ紛れのない一つの例証は、いはゆる産屋の穢れをシラフジョウという地方語は、こちらでも決して珍しくない。是は喪の忌を黒不浄 ...

別にコンサートのことではない。http://haruichiban.sakura.ne.jp/top-page-all.htmlこっちの春一番である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%A5%E4%B8%80%E7%95%AA春先、最初に吹く季節風は強風である。これを風水で南南東にいるとされる蛇にたとえる。鍛冶屋はかまどの ...

白山信仰に関わる静岡県磐田の白山神社には以下のような被差別民の皇子説話が碑文となって残されている。「抑此地称王院人王第五十代桓武帝御子海上皇子御陵也うんぬん・・・」(京見塚王院墓地碑文)(海上皇子という表記は開成皇子かいじょうのみこ・が正しいのだが、磐田 ...

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