さきほどの記事に以下のような事柄を書いた。

「面白いのは、マスコミの昼と夜の論調にそれが表れている。
お昼のニュースショーは、中心視聴者が主婦や老人であるから、主観的な彼らに合わせて、宮迫を弱者、吉本を強者として扱う。ところが夜の報道ニュースでは、視聴者が帰宅した男性に切り替わるから、論調は主観性よりも論理的に変貌して、事件の核心である反社会集団と芸人の癒着へ論点が修正されるのである。この昼と夜の論点の切り替えこそが視聴率に動かされるマスコミの処世術なのだ。」


マスコミ(特に民放)の報道には、昼の受けねらいと夜の受けねらいという、相反する論点を出して見せる傾向が大昔からあって、実はその時間差と視聴者層の相違が、先の大戦前にも起きていた可能性がある。

今も昔も、家庭にいるのは老人と婦人と子供であり、男たちは夜しかテレビやラジオを視聴する時間がない。男女で言うと語弊のある昨今だから、外で働く大人と言い換えたほうがいいかもしれない。


戦前、戦中の大本営発表や戦況報道は、特に戦争になる直前の時代に、昼間家庭にいた人々・・・主婦・子供・民族意識が高かった時代の明治生まれの老人を強く動かす力を持っていることに、マスコミ自身がまだ気づいていなかった。その報道は、すべて戦争を鼓舞し、後押しするような民族意識に満ち溢れたものであるゆえに、それを聞いた家庭の日本人たちを、戦争が当たり前だという意識に切り替えるには十分な力を持っていた。


社会に出ていた男たちは、家に帰るごとに、ナショナリズムへと感化してゆく家族に驚かされたはずである。外にいたら、報道からの影響はさほど受けずに帰宅する。夜の論調はある程度落ち着いたものになるものである。男が聞くからだ。男は論理的に生きているから、情調的な作られた論調には慎重な傾向が強い。


この温度差が、実は太平洋戦争の引き金になった可能性が高い。
常に、日清・日ロ・第一次・・・どのいくさでも、最初に提灯ぶらさげて大喝采したのは昼間家にいた家庭人だったのである。おとこたちは
それによって戦争に向かうはめになった・・・「風評被害者」だった。
そして多くが無駄に死んだ。
国民が、女房・子供とじいさんが亭主を殺したのだと言っても、歴史的にはあながち間違いではない。


情調性が怖いのはそういうところである。
マスコミはそれを操作できる。
そしてだまされるのはいつも女や子供や民族主義者である。

それが日本よりはっきり出る国が隣にある。韓国だ。朝鮮民族のテンションは日本人の数百倍。
戦争などいつでも彼らならはじめてもおかしくない。その証拠に、無関係な領土を侵されたとしてロシア機を爆撃したのであるから。もちろん日本がやったと見えかけるためにやった朝鮮文寄り右翼活動隊の国策である。