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隅田八幡鏡は踏み返し鏡で、おそらく江田船山の画文帯鏡のような親鏡をコピーして作られ、そこに銘文を刻んだものと考えられる。半円方形帯(はんえんほうけいたい)は年代によってデザインが微妙に変わる模様で。中国では四世紀の神人画像鏡においてすでにこの模様は使われている。おそらく日本では、それを模範にして画像鏡が造られ、継体大王の6世紀まで大いに流行。しかし日本の黒塚古墳出土の画文帯神獣鏡にはすでに半円方形帯が描かれており、中国より古いことは考えにくいので、少なくとも三世紀以前から中国にこのデザインがあったはずである。
奈良県黒塚古墳画文帯神獣鏡
この鏡は黒塚でも被葬者の頭部におかれており、最重要な鏡だったことは間違いない。
継体大王に関与するかどうかは不明だが、それ以前の大王クラスの墓にあっただろう隅田八幡鏡が、江田船山などの継体大王時代の古墳にもあることは、継体の父親、あるいは倭五王たちが、この鏡をステータスとしていたことは間違いないだろう。それが三世紀後半~四世紀の大和の黒塚から出ていたことは、中国からもらう鏡が世紀を経て、邪馬台国と大和の倭直氏などが持っていたステータス鏡が5~6世紀の大王にも伝わっていることになる。
国産鏡である三角縁神獣鏡が、十把ひとからげに被葬者の側部に放り込まれていたのとはまったく違う大切な扱い方で、画文帯神獣鏡は常に被葬者頭部に置かれている。
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