https://www.sankei.com/life/news/190514/lif1905140004-n1.html





「百舌鳥・古市古墳群」世界遺産へ 苦節15年 長期間かかったワケ

2019 5.15 Yahoo!ニュース

 「百舌鳥・古市古墳群は、ほかの世界遺産と大きく違うところがある。それは、仁徳天皇陵古墳をはじめとする主要な古墳を、天皇家の先祖の墓として、宮内庁が「陵墓」に指定し管理していること。 陵墓への立ち入りは、固く禁じられている。

  
  世界遺産になるには、「その国の法律で遺産が守られていること」が条件のひとつ。日本のほかの文化遺産は、文化財保護法で守られているが、陵墓は「皇室の財産」と位置づけられていて、文化財の指定は受けていない。

  14年前の2005年、読売テレビの取材に対し、宮内庁は「皇室と国民の追慕尊崇の対象となっているので、静安と尊厳の保持が最も重要なことである。当庁において、十分な管理、および保護に対する最善の手当てを行っており、世界遺産として登録する必要はないと考える」と、世界遺産登録に否定的な見解を示していた。

  このころ、藤木さんは、はじめて宮内庁本庁を訪れた。宮内庁は世界遺産については、やはり否定的だったが、一方で、意外なことを言われた。

  それは、仁徳天皇陵古墳を囲む濠の水のこと。実は、堺市は以前から濠の水質を保つため、きれいな水を絶えず送り込む対策をとっていた。このことについて、宮内庁の側から予想以上の感謝の意を示されたという。

  藤木さんは「(宮内庁から古墳の保存は)やはり、地元あってのことと我々は考えている。地元と共存共栄というのが一番いいんだけれども、とおっしゃっていただいたので、良い関係であるという認識は持ちました」という。

  こうして、堺市と宮内庁は、世界遺産をきっかけに、コミュニケーションを重ねていった。

  そして、2008年。百舌鳥古墳群のひとつ御廟山古墳で、全国初の試みが行われた。宮内庁と堺市が足並みをそろえて発掘するという異例の調査。一般公開も実現した。

  さらに、去年には、仁徳天皇陵の共同発掘調査にまで繋がった。

  内部を見た京都橘大学の一瀬和夫教授は「かなり入念で丁寧なことをしているので、さすが仁徳天皇陵古墳だな、日本一の古墳だなと」と話している。

  堺市との協力が進む中、宮内庁への取材でも以前の「世界遺産になる必要はない」というコメントから「仮に、世界文化遺産に登録された場合には、多くの来訪者が想定されるところです。陵墓の静安と尊厳が損なわれない範囲内で必要な協力をしていきたいと考えております」と、大きな変化が…。

  陵墓が文化財保護法の対象になっていないという、法律上のハードルについては、「文化財でなくても、宮内庁によって、厳重に保護されていて、問題はない」と訴えた。

  少しずつ、世界遺産への道が見えてきたかに思えた堺市。しかし、世界遺産になるためには、まず、自治体から文化庁に、わが街の文化遺産がふさわしいと提案。その中から暫定リストに入り、さらに、ユネスコに推薦する国内候補に選ばれなくてはならない。

  毎年1つが選ばれる文化庁の文化審議会の国内候補の選考では、2013年から、3度落選。堺市のPR担当、ハニワ課長も「結果聞いたときには、頭が割れそうでそれなりに頑張ったつもりだったんですけど」とがっかり。


  一昨年、誰もに認められる世界遺産を目指して、堺市は古墳周辺の景観を良くするため、建物の高さや壁の色を規制したり、周辺の道路整備などを進めた。

  苦節13年。「百舌鳥・古市古墳群」は、やっと、国内候補に選ばれた」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190514-00000069-ytv-l27


世界では日本の縄文時代以外はあまり興味を示さない傾向にある。縄文時代なら多くの関心を持っている。なぜなら縄文人・・・アイヌ・・・白人的アジア人で珍しいから・・・という理由だ。古墳にはほとんど知識がない。

そもそも「古墳」とは英語にすると「古い墓」でしかないので、なぜ日本人研究者が古墳と弥生墳丘墓を区別したがるかがまったく理解できないのだ。日本人のはじまりをどうしても大和にしてしまいたい京都大学学派と、どうしても九州にしたい九州大学学派のせめぎあいの歴史こそが筆者にはコメディである。
墓は墓でしかない。縄文の立石遺跡も、支石墓も、ドルメンも、土たん墓も、墳丘墓も同じ墓なのだ。古墳だけわけたい理由は、それが絶対に纒向から始まったとしたいからである。いわゆる金儲け考古学に未来も楽しみもまったく見えない。それらは全部、経済考古学であり、イデオロギー学問でしかない。宗教の派閥だ。だから外国人研究者が嫌がるのだ。それが日本の考古学者にはわかっていない。宗教戦争なのである。ばかばかしい。一般ファンにとっては古代史を楽しむことをできなくしていることがわからないのである。つまり本末転倒。学問や科学に、最初から仮説をもって臨んでいるなどは邪道であろう。だから日本の考古学は考古学ではないのだ。それはさきほど書いた赤村の古墳?も同じである。はなから話題性と、縄張り争いから生まれてくる情報に、興味はない。

世界遺産指定は、指定されてからが本当の正念場。傍若無人な観光客によってどんな目にあうかわからない。世界遺産である前に貴重な日本草創期の「日本古代の歴史遺産」なのだということをお忘れなく。土足で無知な人々の高貴な目にさらされ、近隣一般市民も大いに迷惑をこうむることになるだろう。市街地にあることを考えれば、さて?歴史ファンの一人として、世界遺産指定は喜んでいいいことかどうか、はらはらしながら見ている。