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世紀の結婚・
明仁皇太子と美智子さんの結婚パレード
1959年4月10日




●●日本の皇后一覧(にっぽんのこうごういちらん)

(天武までは大王と呼ばれていた。中国は倭王と呼んだ。また一覧の持統までは、あくまでも『日本書紀』の描いた観念的歴代天皇で、実際のことかどうか誰も知らない事柄)
名 読み 諡号・追号・女院号 立后の根拠 出身 皇后宮・中宮の別 在位

●皇祖として架空の人々 信頼度皆無
初代皇后=媛蹈鞴五十鈴媛命 / 比売多多良伊須気余理比売  ひめたたらいすずひめ / ひめたたらいすけよりひめ   初代神武天皇妻  事代主神女 大物主神女  -  神武天皇元年1月1日 - 綏靖天皇元年1月8日  (「たたら」は製鉄炉、「いすず」は伊勢アマテラス子孫を意識した名前)
五十鈴依媛命 / 河俣毘売  いすずよりひめ / かわまたびめ   2代綏靖天皇妻  事代主神女 師木県主女  -  綏靖天皇2年1月 - 安寧天皇元年10月11日 
渟名底仲媛命 / 阿久斗比売  ぬなそこなかつひめ / あくとひめ   3代安寧天皇妻  鴨王女 師木県主波延女  -  安寧天皇3年1月5日 - 懿徳天皇元年9月14日 
天豊津媛命 / 賦登麻和訶比売命  あまとよつひめ / ふとまわかひめ   4代懿徳天皇妻  息石耳命女 師木県主女  -  懿徳天皇2年2月11日 - 孝昭天皇元年4月5日 
世襲足媛  よそたらしひめ   5代孝昭天皇妻  瀛津世襲妹  -  孝昭天皇29年1月3日 - 孝安天皇元年8月1日 
押媛  おしひめ   6代孝安天皇妻  天足彦国押人命女  -  孝安天皇26年2月14日 - 孝霊天皇元年1月12日 
細媛命  くわしひめ
/ほそひめ   7代孝霊天皇妻  磯城県主大目女  -  孝霊天皇2年2月11日 - 孝元天皇元年1月14日

ここまで『日本書紀』が設定した皇祖としてのイメージの人物


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●物部氏系王家があったと『日本書紀』が設定している妃、三輪王家 信頼度0
欝色謎命  うつしこめ   8代孝元天皇妻  欝色雄命妹  -  孝元天皇7年2月2日 - 開化天皇元年1月4日 
伊香色謎命  いかがしこめ   9代開化天皇妻  大綜麻杵命女
孝元天皇妻  -  開化天皇6年1月14日 - 崇神天皇元年1月13日

ここまで「欠史八代」創作九州系王家


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  ●ここから三輪王家・近畿地方の大王家 信頼度0
御間城姫  みまきひめ   10代崇神天皇妻  大彦命女  -  崇神天皇元年2月16日 - 垂仁天皇元年11月2日 


●息長系の意識的前例としての挿入 信頼度0
狭穂姫命  さほひめ   11代垂仁天皇妻  彦坐王女  -  垂仁天皇2年2月9日 - 垂仁天皇5年10月 


●地方豪族系 信頼度低
日葉酢媛命  ひばすひめ   丹波道主命女  -  垂仁天皇15年8月1日 - 垂仁天皇32年7月6日 
播磨稲日大郎姫  はりまのいなびのおおいらつめ   12代景行天皇妻  稚武彦命女  -  景行天皇2年3月3日 - 景行天皇52年5月4日 
八坂入媛命  やさかいりひめ   八坂入彦命女  -  景行天皇52年7月7日 - 成務天皇2年11月10日 


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●息長系大王家の正統性のための『日本書紀』前倒し王家(天皇家との関係不明な渡来系大王家か?)河内王朝とも。歴代女帝はいたというがための前例。
信頼度低
気長足姫尊  おきながたらしひめ  神功皇后  14代仲哀天皇妻  気長宿禰王女  -  仲哀天皇2年1月11日 - 神功皇后摂政元年10月2日  魏志卑弥呼をイメージした女帝の正当性のための存在。モデルは斉明・持統女帝。
仲姫命  なかつひめ   15代応神天皇妻  品陀真若王女  -  応神天皇2年4月3日 - 仁徳天皇元年1月3日 
磐之媛命  いわのひめ   16代仁徳天皇妻  葛城襲津彦女  -  仁徳天皇2年3月8日 - 仁徳天皇35年6月 
八田皇女  やた   応神天皇女  -  仁徳天皇38年1月6日 - ? 
草香幡梭皇女  くさかのはたび   17代履中天皇妻  応神天皇女  -  履中天皇6年1月6日 - ? 
忍坂大中姫  おしさかのおおなかつひめ   19代允恭天皇妻  若野毛二俣王女  -  允恭天皇2年2月14日 - 允恭天皇42年12月14日 
中蒂姫命  なかしひめ   20代安康天皇妻  履中天皇女  -  安康天皇2年1月17日 - ? 
草香幡梭姫皇女  くさかのはたびひめ   21代雄略天皇妻  仁徳天皇女  -  雄略天皇元年3月3日 - ? 
難波小野王  なにわのおの   23代顕宗天皇妻  丘稚子王女  -  顕宗天皇元年1月1日 - 仁賢天皇2年9月 
●藤原氏(春日氏系)正当性のための前例挿入
春日大娘皇女  かすがのおおいらつめ   24代仁賢天皇妻  雄略天皇女  -  仁賢天皇元年2月2日 - ? 
春日娘子  かすがのいらつこ   25代武烈天皇妻  父不詳  -  武烈天皇元年3月2日 - ?


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●百済系王家の挿入。河内王家との断絶王家?
  信頼度低
手白香皇女  たしらか   26代継体天皇妻  仁賢天皇女  -  継体天皇元年3月5日 - ?
(507年4月2日? - ?) 
春日山田皇女  かすがのやまだ   27代安閑天皇妻  仁賢天皇女  -  安閑天皇元年3月6日 - ?
(534年4月4日? - ?) 
橘仲皇女  たちばなのなかつ   28代宣化天皇妻  仁賢天皇女  -  宣化天皇元年3月8日 - ?
(535年4月25日? - ?) 
石姫皇女  いしひめ   29代欽明天皇妻  宣化天皇女  -  欽明天皇元年1月15日 - 敏達天皇元年4月3日(540年2月8日? - 572年4月30日?) 


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●蘇我大王家・息長大王家だったと『日本書紀』がしてある王家・飛鳥王権 信頼度中の下
●その初代に息長系母方を無理に挿入して持統正当性の前例とした人
息長広姫  おきながひろひめ   30代敏達天皇妻  息長真手王女  -  敏達天皇4年1月9日 - 敏達天皇4年11月(575年2月4日?-575年12月?) 
●のちの持統女帝正統性の前例としての推古
額田部皇女  ぬかたべ  推古天皇  欽明天皇女  -  敏達天皇5年3月10日 - 崇峻天皇5年12月8日(576年4月23日? - 593年1月15日) 
穴穂部間人皇女  あなほべのはしひと   31代用明天皇妻  欽明天皇女  -  用明天皇元年1月1日 - ?(586年1月26日? - ?) 
宝皇女  たから  皇極天皇
斉明天皇  34代舒明天皇妻  茅渟王女  -  舒明天皇2年1月12日 - 皇極天皇元年1月15日
(630年3月1日 - 642年2月19日) 
間人皇女  はしひと   36代孝徳天皇妻  舒明天皇女  -  大化元年7月2日 - 天智天皇4年2月25日(645年7月30日 - 665年3月16日) 
倭姫王  やまとひめ   38代天智天皇妻  古人大兄皇子女  -  天智天皇7年2月23日 - ?
(668年4月10日 - ?)


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●生前称制度による天皇称号の始まり。ここまでは大王の妃。ここからが天皇妃に。
藤原摂関時代、『日本書紀』成立期と律令制開始。信頼度中の上
鸕野讃良皇女(女帝)  うののさらら
/うののささら  持統天皇  40代天武天皇妻  天智天皇女  -  天武天皇2年2月27日 - 持統天皇4年1月1日(673年3月20日 - 690年2月14日)


●『日本書紀』記述はここまで
以下は『続日本紀』などの記述で信頼できる事実
 
●Wikiが割愛している藤原宮子
(文武妃。平民か?不比等幼女) 
「文武天皇元年(697年)8月、持統天皇の譲位により即位直後の文武天皇の夫人となる(『続日本紀』)。なお、これと同時に紀氏・石川氏の娘も嬪となっている。宮子が文武夫人となった背景には、持統末年頃に不比等と婚姻関係になったと考えられている、阿閉皇女(元明天皇)付き女官の県犬養三千代の存在があったと考えられている。それまで少壮官僚であった不比等は、文武即位に伴い中央政界に台頭している。ただし、夫人や嬪の制度化は大宝令後であったとすると、宮子の夫人号は後世の脚色で、宮子・紀氏・石川氏は当初は「妃」であったが令制導入に基づいて「嬪」とされ、後に皇子を生んだ宮子が「夫人」とされたと解する見方もある。」Wiki藤原宮子
●梅原猛は、宮子は不比等と賀茂比売との娘ではなく、紀州の海人族の娘であり、紀氏の紹介で文武がこれを見初めたが、身分が違うため紀氏盟友だった不比等がひきとおって娘として嫁いだとする。不明。
●『日本書紀』編者を、大山誠一は『天孫降臨の夢』などで藤原不比等、紀朝臣清人、忌部など不比等の影の存在があったと想定している。『日本書紀』編集者で実力があるのは不比等ひとりであり、ほかは渡来人書記ばかりであると想定。不比等にとって都合がいい藤原摂関正当性のために神話も神武も継体も挿入されたとしている。


すると宮子の存在はなぜWikiがカットしているかが見えてくるか?
宮子は唯一の平民皇后だったのだろうか?


藤原安宿媛  あすかべひめ  のちに光明皇后 天平応真仁正皇太后  45代聖武天皇妻  藤原不比等女  皇后宮  天平元年8月10日 - 天平感宝元年7月2日(729年9月7日 - 749年8月19日)
井上内親王  いのえ/いがみ   49代光仁天皇妻  聖武天皇女  皇后宮  宝亀元年11月6日 - 宝亀3年3月2日(770年11月27日 - 772年4月9日)●実質的な正妻は高野新笠である。百済武寧王子孫?百済から来た倭(やまと)氏の娘。京都の土師氏母との間に生まれた。渡来と工人氏族の子供で、百済系と言う異例の妃。平成天皇がレセプションで名前を出したことで有名。


延暦19年7月23日(800年8月16日)井上復位 
藤原乙牟漏  おとむろ  天之高藤広宗照姫尊  50代桓武天皇妻  藤原良継女  皇后宮  延暦2年4月18日 - 延暦9年閏3月10日(783年5月23日 - 790年4月28日) 
藤原帯子  たらしこ   51代平城天皇妻  藤原百川女  (贈皇后)  大同元年6月9日(806年6月28日)贈皇后 
橘嘉智子  かちこ  檀林皇后  52代嵯峨天皇妻  橘清友女  皇后宮  弘仁6年7月13日 - 弘仁14年4月23日(815年8月21日 - 823年6月5日) 
高志内親王  こし   53代淳和天皇妻  桓武天皇女  (贈皇后)  弘仁14年6月6日(823年7月17日)贈皇后 
正子内親王    嵯峨天皇女  皇后宮  天長4年2月26日 - 天長10年3月2日
(827年3月26日 - 833年3月26日) 
藤原穏子    60代醍醐天皇妻  藤原基経女  中宮  延喜23年4月26日 - 承平元年11月28日
(923年5月14日 - 932年1月8日) 
藤原安子    62代村上天皇妻  藤原師輔女  中宮  天徳2年10月27日 - 応和4年4月29日
(958年12月10日 - 964年6月11日) 
昌子内親王    63代冷泉天皇妻  朱雀天皇女  中宮  康保4年9月4日 - 天禄4年7月1日
(967年10月9日 - 973年8月1日) 
藤原媓子    64代円融天皇妻  藤原兼通女  中宮  天禄4年7月1日 - 天元2年6月3日
(973年8月1日 - 979年6月29日) 
藤原遵子    藤原頼忠女  中宮→皇后宮  天元5年3月11日 - 長保2年2月25日
(982年4月7日 - 1000年4月2日) 
藤原定子    66代一条天皇妻  藤原道隆女  中宮→皇后宮  永祚2年10月5日 - 長保2年12月16日
(990年10月26日 - 1001年1月13日) 
藤原彰子   上東門院  藤原道長女  中宮  長保2年2月25日 - 寛弘9年2月14日
(1000年4月2日 - 1012年3月9日) 
藤原妍子    67代三条天皇妻  藤原道長女  中宮  寛弘9年2月14日 - 寛仁2年10月16日
(1012年3月9日 - 1018年11月26日) 
藤原娍子    藤原済時女  皇后宮  寛弘9年4月27日 - 万寿2年3月25日
(1012年5月20日 - 1025年4月25日) 
藤原威子    68代後一条天皇妻  藤原道長女  中宮  寛仁2年10月16日 - 長元9年9月6日
(1018年11月26日 - 1036年9月28日) 
禎子内親王   陽明門院  69代後朱雀天皇妻  三条天皇女  中宮→皇后宮  長元10年2月13日 - 永承6年2月13日
(1037年3月2日 - 1051年3月27日) 
藤原嫄子    敦康親王女
藤原頼通養女  中宮  長元10年3月1日 - 長暦3年8月28日
(1037年3月20日 - 1039年9月19日) 
章子内親王   二条院  70代後冷泉天皇妻  後一条天皇女  中宮  永承元年7月10日 - 治暦4年4月17日
(1046年8月14日 - 1068年5月20日) 
藤原寛子    藤原頼通女  皇后宮→中宮  永承6年2月13日 - 延久元年7月3日
(1051年3月27日 - 1069年7月23日) 
藤原歓子    藤原教通女  皇后宮  治暦4年4月17日 - 延久6年6月20日
(1068年5月20日 - 1074年7月16日) 
馨子内親王    71代後三条天皇妻  後一条天皇女  中宮→皇后宮  延久元年7月3日 - 寛治7年9月4日
(1069年7月23日 - 1093年9月26日) 
藤原賢子    72代白河天皇妻  源顕房女
藤原師実養女  中宮  延久6年6月20日 - 応徳元年9月22日
(1074年7月16日 - 1084年10月24日) 
媞子内親王   郁芳門院  73代堀河天皇准母  白河天皇女  中宮  寛治5年1月22日 - 寛治7年1月19日
(1091年2月13日 - 1093年2月17日) 
篤子内親王    73代堀河天皇妻  後三条天皇女  中宮  寛治7年2月22日 - 永久2年10月1日
(1093年3月21日 - 1114年10月30日) 
令子内親王    74代鳥羽天皇准母  白河天皇女  皇后宮  嘉承2年12月1日 - 長承3年3月19日
(1108年1月15日 - 1134年4月15日) 
藤原璋子   待賢門院  74代鳥羽天皇妻  藤原公実女  中宮  永久6年1月26日 - 天治元年11月24日
(1118年2月18日 - 1124年12月31日) 
藤原聖子   皇嘉門院  75代崇徳天皇妻  藤原忠通女  中宮  大治5年2月21日 - 永治元年12月27日
(1130年4月1日 - 1142年1月25日) 
藤原泰子   高陽院  74代鳥羽天皇妻  藤原忠実女  皇后宮  長承3年3月19日 - 保延5年7月28日
(1134年4月15日 - 1139年8月24日) 
藤原得子   美福門院  藤原長実女  皇后宮  永治元年12月27日 - 久安5年8月3日
(1142年1月25日 - 1149年9月6日) 
藤原多子  まさるこ   76代近衛天皇妻  徳大寺公能女
藤原頼長養女
のち二条天皇妻  皇后宮  久安6年3月14日 - 保元元年10月27日
(1150年4月13日 - 1156年12月11日) 
藤原呈子   九条院  藤原伊通女
藤原忠通養女  中宮→皇后宮  久安6年6月22日 - 保元3年2月3日
(1150年7月18日 - 1158年3月5日) 
藤原忻子    77代後白河天皇妻  徳大寺公能女  中宮→皇后宮  保元元年10月27日 - 承安2年2月10日
(1156年12月11日 - 1172年3月6日) 
統子内親王   上西門院  77代後白河天皇准母  鳥羽天皇女  皇后宮  保元3年2月3日 - 保元4年2月13日
(1158年3月5日 - 1159年3月4日) 
姝子内親王   高松院  78代二条天皇妻  鳥羽天皇女  中宮  保元4年2月21日 - 応保2年2月5日
(1159年3月12日 - 1162年2月20日) 
藤原育子    徳大寺実能女
藤原忠通養女  中宮→皇后宮  応保2年2月19日 - 承安3年8月15日
(1162年3月6日 - 1173年9月23日) 
平徳子   建礼門院  80代高倉天皇妻  平清盛女  中宮  承安2年2月10日 - 養和元年11月25日
(1172年3月6日 - 1182年1月1日) 
亮子内親王   殷富門院  81代安徳天皇准母  後白河天皇女  皇后宮  寿永元年8月14日 - 文治3年6月28日
(1182年9月13日 - 1187年8月4日) 
藤原(九条)任子   宜秋門院  82代後鳥羽天皇妻  九条兼実女  中宮  建久元年4月26日 - 正治2年6月28日
(1190年5月31日 - 1200年8月9日) 
範子内親王   坊門院  83代土御門天皇准母  高倉天皇女  皇后宮  建久9年3月3日 - 建永元年9月2日
(1198年4月10日 - 1206年10月5日) 
藤原(大炊御門)麗子   陰明門院  83代土御門天皇妻  藤原頼実女  中宮  元久2年7月11日 - 承元4年3月19日
(1205年7月28日 - 1210年4月14日) 
昇子内親王   春華門院  -  後鳥羽天皇女  皇后宮  承元2年8月8日 - 承元3年4月25日
(1208年9月19日 - 1209年5月30日) 
藤原(九条)立子   東一条院  84代順徳天皇妻  九条良経女  中宮  承元5年1月22日 - 承久4年3月25日
(1211年2月7日 - 1222年5月7日) 
邦子内親王   安嘉門院  86代後堀河天皇准母  後高倉院女  皇后宮  承久3年12月1日 - 貞応3年8月4日
(1222年1月14日 - 1224年9月18日) 
藤原(三条)有子   安喜門院  86代後堀河天皇妻  三条公房女  中宮→皇后宮  貞応2年2月25日 - 嘉禄3年2月20日
(1223年3月28日 - 1227年3月9日) 
藤原(近衛)長子   鷹司院  近衛家実女  中宮  嘉禄2年7月29日 - 寛喜元年4月18日
(1226年8月23日 - 1229年5月12日) 
藤原(九条)竴子   藻璧門院  九条道家女  中宮  寛喜2年2月16日 - 貞永2年4月3日
(1230年3月31日 - 1233年5月13日) 
利子内親王   式乾門院  87代四条天皇准母  後高倉院女  皇后宮  天福元年6月20日 - 延応元年11月12日
(1233年7月28日 - 1239年12月8日) 
藤原(西園寺)姞子   大宮院  88代後嵯峨天皇妻  西園寺実氏女  中宮  仁治3年8月9日 - 宝治2年6月18日
(1242年9月5日 - 1248年7月10日) 
曦子内親王   仙華門院  -  土御門天皇女  皇后宮  宝治2年8月8日 - 建長3年3月27日
(1248年8月27日 - 1251年4月19日) 
藤原(西園寺)公子   東二条院  89代後深草天皇妻  西園寺実氏女  中宮  康元2年1月29日 - 正元元年12月19日
(1257年2月14日 - 1260年2月1日) 
藤原(洞院)佶子   京極院  90代亀山天皇妻  洞院実雄女  中宮→皇后宮  文応2年2月8日 - 文永9年8月9日
(1261年3月10日 - 1272年9月2日) 
藤原(西園寺)嬉子   今出河院  西園寺公相女  中宮  弘長元年8月20日 - 文永5年12月6日
(1261年9月16日 - 1269年1月9日) 
姈子内親王   遊義門院  -  後深草天皇女
のち後宇多天皇妻  皇后宮  弘安8年8月19日 - 正応4年8月12日
(1285年9月19日 - 1291年9月6日) 
藤原(西園寺)鏱子   永福門院  92代伏見天皇妻  西園寺実兼女  中宮  正応元年8月20日 - 永仁6年8月21日
(1288年9月17日 - 1298年9月27日) 
藤原(徳大寺)忻子   長楽門院  94代後二条天皇妻  徳大寺公孝女  中宮  嘉元元年9月24日 - 延慶3年12月19日
(1303年11月4日 - 1311年1月9日) 
奨子内親王   達智門院  -  後宇多天皇女  皇后宮  文保3年3月27日 - 元応元年11月15日
1319年4月18日 - 1319年12月27日 
藤原(西園寺)禧子   後京極院  96代後醍醐天皇妻  西園寺実兼女  中宮  元応元年8月7日 - 正慶元年5月20日
(1319年9月21日 - 1332年6月13日)
元弘3年6月5日 - 元弘3年7月11日
(1333年7月17日 - 1333年8月21日) 
珣子内親王   新室町院  後伏見天皇女  中宮  元弘3年12月7日 - 建武4年1月16日
(1334年1月13日 - 1337年2月17日) 
藤原(西園寺)氏    98代長慶天皇妻  西園寺公重女  中宮  建徳2年9月末以降 - 弘和3年3月以降
(1371年11月以降 - 1383年4月以降) 
源(徳川)和子  まさこ
/かずこ  東福門院  108代後水尾天皇妻  徳川秀忠女  中宮  寛永元年11月28日 - 寛永6年11月9日
(1625年1月7日 - 1629年12月23日) 
藤原(鷹司)房子  ふさこ  新上西門院  112代霊元天皇妻  鷹司教平女  中宮  天和3年2月14日 - 貞享4年3月25日
(1683年3月12日 - 1687年5月6日) 
幸子女王  ゆきこ  承秋門院  113代東山天皇妻  有栖川宮幸仁親王女  中宮  宝永5年2月27日 - 宝永7年3月21日
(1708年4月17日 - 1710年4月19日) 
欣子内親王  よしこ  新清和院  119代光格天皇妻  後桃園天皇女  中宮  寛政6年3月7日 - 文政3年3月14日
(1794年4月6日 - 1820年4月26日) 
藤原(鷹司)繋子  つなこ  新皇嘉門院  120代仁孝天皇妻  鷹司政熙女  (贈皇后)  文政7年7月10日(1824年8月4日)贈皇后 


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●明治時代
一条美子  はるこ  昭憲皇太后
(しょうけん)  122代明治天皇妻  一条忠香女  中宮→皇后宮  明治元年12月28日(1869年2月9日)
- 明治45年(1912年)7月30日 
九条節子  さだこ  貞明皇后
(ていめい)  123代大正天皇妻  九条道孝女  -  明治45年(1912年)7月30日
- 大正15年(1926年)12月25日 
良子女王  ながこ  香淳皇后
(こうじゅん)  124代昭和天皇妻  久邇宮邦彦王女  -  大正15年(1926年)12月25日
- 昭和64年(1989年)1月7日


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●戦後
●平民から上嫁した妃 
正田美智子  みちこ   125代今上天皇妻  正田英三郎(日清製粉グループ会長。日清製粉会長。 日清製粉グループの創業者・正田貞一郎の三男)女  -  昭和64年(1989年)1月7日 - 平成31年(2019年)4月30日(予定)  ※日清食品は無関係。
小和田雅子  まさこ   皇太子徳仁親王妻  小和田恆(日本の外交官。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長。国際法学者。博士。教授(ハーバード大学他)。 国連大使、 国際司法裁判所判事、外務事務次官、外務審議官、外務大臣官房長などを歴任。
経歴 - 年譜 - 家族・親族 - 著書・論文)女  -  令和元年(2019年)5月1日~(予定)


最後のおふたりだけが、平民で、爵位もなし人の娘である。これは異例中の異例になる。戦前の皇室典範では皇后は皇族あるいは華族から選ばれるとされていたものが、敗戦後改変して、平民でもそれに相当する人物ならと自由化されたが、それを実践された最初の天皇は平成天皇明仁である。画期的で、世紀の結婚とも言われた。テニスコートの恋として、戦後自由主義・民主主義日本の象徴的大事件として、昭和の日本人にに希望と夢を与えた。明仁天皇のなされた事績は、『日本書紀』天皇~昭和天皇までの誰とも違い、必ず夫婦で帯同し、日本全国をくまなく巡幸。平民、被災地、沖縄、伊勢神宮と、誰一人向かわなかった場所へも出かけ、ひざを折って手とお声をさしかけられた。そのような天皇は歴代ひとりもいなかった。


※天皇巡幸の意味と意義
全国を見て回るのは中国では道教的儀式であり、皇帝の最大事業だった。大地を踏みしめ、国内を安定化させる意味がある。相撲取りが土俵を踏みしめるシコにも同じ意味がある。天皇が天子であること、神の代弁者であった時代の名残。




明日、平成天皇は退位され、令和天皇が明後日即位される。日本人にとって世紀の瞬間である。そして令和天皇には、いかなる理念で動き、皇后雅子さまは、どこまでそれについていかれるかは国民全員の見つめるところとなる。いやあ、美智子さんはやっぱりミッチーであった。常に国民を思い、その視線で包み込んでおられた。皇室に嫁いだときには、それはそれは内親王や宮内から、また国民・マスコミからのバッシングもあっただろう。よく耐えられた。平成天皇はよく支えられたと感じる。いま、そんな奥さんが果たしてこの国にいかほど残っているだろう?極めて不安。雅子さんには、美智子さんのなされてきた日本の母としての信念をぜひとも継続されて、皇室を世界の誇りと言えるものに、さらに知らしめていただければ幸いである。そして令和年間が、昭和・平成以上に安泰な時代になることを心から念じてこの記事堰を終わる。筆者より若い天皇が生まれる。考えたこともなかった。次の天皇に引き継ぐまで、令和ができうる限り末永く続くことも念ずる。人生で、筆者が三度目の新天皇を見ることがないことを望む。
 

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