「日本史を斬る!刀剣スペシャル」


▽追跡!土偶を愛した弥生人たち~縄文と弥生をつなぐミステリー






今日はNHKBSプレミアム 「英雄たちの選択」に見入った。
この二本だ。
どちらも圧巻だった。

ぼくにはまったく不思議ではなかった。当たり前のことだった。
それを今頃やっとテレビが言ってくれていることのほうが不思議だったのだ。

特に土偶。
合掌土偶なんて名前がどうかと思うが。
あれは合掌と言う仏教用語には無関係な出産の姿。縄文時代にはとにかく出産で死んでしまう子供が多かった。ほとんどがそうだったかもしれない。

すると現代の出産とは、願いがまったく違ってくることになる。その無事への思いの強さを学者は思いやってやらねばならないだろう。それがこれまでの考古学者にはわからなかった。ぼくたちの世代からだろうか、男が妻の出産に立ち会うのは当たり前になったが、ぼくらより前の世代は、おそらくそれをしていない。そういう世代までの考古学では、あの屈折土偶でなぜ女性が合掌して祈るのか、それは何をしている姿なのかが、実はわかってはいても書けなかったのだろうと思う。そういう卑俗なことは、学者はかけない時代があったのだ。

しかし今なら書いてもなんらおかしくはない。
ひとつだけ不満だったのは、出産を経験していない番組の若い女性がこの土偶を見に行ったところで、彼女に、果たして縄文時代の出産がいかに死産が多かったか、それによってその時代の安産への「願いや祈り」が今とはまったく次元が違うのだと言うことが、感じることができているかという疑問だ。

18歳が寿命だったと彼女にどうやってわからせてあげられよう。それがわかったら、女性なら誰だって、必ず意味が分かるはずである。ほとんどの幼児が死んで生まれていた時代だった。そこをわかるかわからないかに研究者の理解度はかかっていることがらだった。男たちに、そんぽ時代の男たちにはそれが実感できなかった。考古学がその次元にしかなかった。それをむしろ高尚だと勘違いしていた時代・・・。


それから、縄文の渦巻きが、はるかに九州の装飾古墳に影響していたこと。これはぼくには当然のことだった。縄文人は東北から中国まででもいけている。北部九州を経由しての入手だったのかも知れぬが、中国の遺物の類似品や、遠賀川の土器類似品ならいくいらでも東北で出るからだ。


古代人は必要なものは、どこへでもとりに行った。
なぜいけるのか?

現代ほどの国境がなかったからだ。
人間は意志さえあればどこへでも行ける。
今のほうが行きにくくなったと思うべきだ。
発想が逆なのである。だから学者だけでは学問は先へ行けない。





縄文人は舟で九州倭人とつきあい、互いが影響し合えていた。
まるで現代の欧州人が、移民を受け入れているように、彼らは普通につきあった。
きっとネアンデルターとデニソワと
ホモサピエンスたちのように。


なぜ?


いのちが想像を超えて存続が難しい世界だったからだ。
ほかに答えがあるか?種を残そうというとき、あなたは殺しえるか?


こんな単純なことに気がつかないなんて、それでも人間だといえるだろうか?





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ぼくは「わけわからん」人間でしょうか?
若いやつにそういわれたKawakatuより。

こんな侮辱はほかにないと思った。