最初に手水の水をすくい、左手、右手の順で手を洗う。
次に左のてのひらに水を注ぎ、口を注ぐ。決して柄杓から直接呑まない。そういう練習が終わった夏の運動部のような下品なことはしないこと。
もちろんこれは「みそぎ・潔斎」の代行行為であるから、神様の前にいくのに、忘れた人にご加護はあるまいというのが権威的発想だが、もともと神のご加護を期待するほどせっぱ詰まることがない人は好きにすればよい。ご加護があるかないかは問題ではなく、要は信仰心のあるなしである。