す;炭焼き小五郎伝説
大昔、奈良の公家の姫が炭焼きに嫁いだ。山奥ゆえたくさんの金子を持参したが、炭焼きの小五郎が言うには、そんなものは炭焼き小屋の裏山にいくらでも落ちている。珍しくもない、いらん、いらんと。
小五郎は金がお金であることを知らなかったのである。行ってみると確かに金塊がごろごろ。
姫はこれが貴重なものであることを教え、二人はそこで真名の長者と呼ばれ、むつまじく暮らした。

という柳田國男の紹介で一躍有名になった昔話。その発祥の地と自称する場所が大分県豊後大野市三重町と緒方町の境にある。現在ほこらと古い祭祀跡があり、祈念碑が建っている。
ここは豊後大神氏の緒方一族の居館跡に近い。従って大神氏あるいはそれ以前の多氏の伝承であろうか。
多氏と大神氏の間の関係は不明。しかし、宇佐大神氏は系図上大和の大三輪氏出身。大三輪系図の最後に出てくる大神比義と特牛(とこひ)兄弟のうち弟の比義が宇佐神宮に入った。
大三輪氏は多氏の出身である太田田根古命の末裔であるから、太田姓はおそらく多氏か?
大神氏の「おお」ももしや多氏から?

炭焼き小屋の裏にあった金とは鉱物。
炭焼きとはむしろたたら製鉄の工場ととるべきかも知れない。少なくとも鉱山開発者は鉱物の価値は知っているはずだから、炭焼きは何も知らずにたたら用の炭を焼いていたとすると、山師はやはりくせ者であろうか。西日本が金よりも銀経済圏だったこととも関係がありそう。

それにしても公家の嫁が来るほど、当時の山奥の鉱山関係者ははぶりがよかったのだろうか。各地の評督の多くが多氏出身者だったことを考え合わせれば、なるほどそうだったのだろう。