ゆ;百合(ゆり)百合若大臣(ゆりわかだいじん・百合稚大臣・鬼退治)
壱岐の島の百合地区にはたくさんの古墳群がある。
この島に伝わる「百合若大臣」伝説は、桃太郎や吉備の温羅伝説、あるいは京都大江山の源頼光の酒呑童子退治の源流とも言える。
百合若という人が、島の鬼を退治する・・・つまりは先住民から鉱脈を奪う朝廷、あるいは後から来た渡来人のお話であろう。
吉備の場合は、渡来が地元民から奪ってしまって、それを朝廷の、おそらく四道将軍がさらに簒奪してしまう話に発展した。つまりこの話には二種類の考え方が存在する。
まず、渡来人が島にやってくる。そこに地元民がいて、彼らと渡来は好むと好まざるに関わらず主従関係となる。力のバランスがまったく違うからだ。いくさにもなにもなりようがない。
それを大和の朝廷の氏族がやってきて渡来人を粛正。ついでに従っている地元民も配下にしてしまう。ということだろうか?
壱岐の場合、海岸部には安曇族と思われる海人族がいて、今でも海女さんや、海士、くじら(勇魚・・いさな)獲りがいる。大変血の気の多い人々であるらしい。もっとも普段は普通ですが、祭や酒が入ると豹変すると聞いた。
そりゃあ命がけの仕事をしているのだから少々気性が荒いのは当たり前であるが、実はその陰には、大昔にやられちゃったという意識があるように見える。反骨心である。
鹿児島人や宮崎人が非情に丁寧な言葉を使う、あるいは東北人が口ごもって、あまりはっきりとものをいわなくなっていく過程には、渡来や為政者の簒奪行為があるのではなかろうか?

壱岐の百合地区の古墳群は18基以上あり、その他に勝山地区の山の上にもっと大きな古墳がある処から見て、おそらく管理者である対馬からきた宗氏、そこから出たと思われる宗像氏の古墳ではなかろうか?
宗像氏はまず間違いなく、海の民である安曇族の管理者であろう。
宗像が出雲から諏訪に入る時に、安曇族だけは北部の安曇野に別れて入っているところから見て、高志の国・富山湾でふたつの氏族は遊離したようである。

実は東北の山形県にも百合若大臣の伝承がある。
かわかつは大分県の伝説だとばかり思っていたのに、実はこの伝説は全国各地に散らばっているのである。その点、「炭焼き小五郎伝説」の分布とよくにている。分布図を作ったら、きっと全国鉱脈分布や修験道の聖地と重なってくるはずである。
そして壱岐から来た製鉄、鉱物採取の種族の移動したルートも見えてくるのだろう。
大生部や伊福部、小子部、坂合部・・・要するに多一族の動向と、葛城修験道の行方は日本では壱岐から始まって、出羽や奥羽の金山発掘に発展してゆくのだと思われる。壱岐の向こうには朝鮮半島がある。
彼らがそこから、時間差的にやってきて、順次、獲ったりとられたりしてきたのが、日本の古代史なのであろう。

遠賀神社は実に如実に鉱物種族の出羽来訪を教えてくれる。
「遠賀」自体、福岡県田川郡などの「鷹」一族の居住地である遠賀川を示す。
鶴岡は鎌倉の鶴ヶ岡八幡とも大いに関わる。
「つる」自体は北部九州における山腹の湿地帯をさすが、これはもともと鉱脈である。
「鷹」「鳶」「鷲」「鹿」は鉱物トーテムと言ってよいだろう。だから修験者は時にとんびなどとも言われるし、古代のうばそくなどは金鷲、金鷹などと自称していた。それがやがてカラスになってゆくが、カラスはもともとは「やたカラス」から来ており、これは大和葛城氏と血縁関係にあった葛城鴨氏からであり、さらにたどれば、日本書紀・神武東征で神武を助けた天の香語山尊の話へつながってゆく。この神は、実は物部氏の兄弟であった神で、今の愛知県の尾張氏という一族につながっている。
そして出雲では彼は「あじすきたかひこね」という大国主の子どもで、大和の葛城氏の祖神であり、鴨氏の祖神でもあり、さらに長男の八重事代主を大和に祭った氏族を示しているのである。
だから・・・・壱岐にも、田川郡香春神社にも「蛭子」を祭る神社があって、それは八重事代主そのものであって、同時に小さい人々、鬼の系譜、要するに小子部すかるに代表される製鉄、産鉄氏族多氏を指すことになるのである。
(かわかつ)It`sかわかつWorldより


ゆ;百合の花
百合の花を紋章にするのは西洋のシオン修道会であるそうだが、ここに鉱物、製鉄を結びつける記事は今のところあまりなさそうである。洋の東西を問わず、鉱物、製鉄は絶対に必要な資源であるなら、遠征話のウラに鉄鉱脈の話が出てこないはずはない。どこかにあるはずである。
(かわかつ)