ミャオ族の洪水神話には、日本にしかない神話形式の中の「柱の周りを回って子を生む」類型が見える。
これはおそらくこのミャオの伝承だけの特殊な神話だろう。
およそ中国江南には日本神話の要素7種類のうち、6種類までははっきり読み取れるが、「柱」型だけは見あたらなかった。諏訪春雄はそれを見いだしている。

「大昔、天から雷鳴とともに雨が降り注いだ。ひとりの勇敢な男が鉄の檻を用意して雨の中に飛び出し、雷をとらえた。男はその後町へ出かけた。
留守番に子どもの兄妹をたてた。
雷はふたりに水を所望した。飲んだとたんに雷は天に飛び去った。
雷はふたりに礼として歯を一本渡し土中に埋めよと言った。土中にこれを埋めると大きなヒョウタンが生えた。雷は怒り倍増し大洪水になったが、兄妹だけはヒョウタンに身を隠し助かった。
ある日、兄が妹に結婚しようといいだした。妹はこれをことわったが、兄がしつこく言い寄るので、「自分を追いかけて捕まえたら結婚する」と言った。
兄妹は大きな木のまわりをめぐりながら追いかけっこをした。すると兄は急に向きを変えて妹を捕まえてしまった。
「結婚してまもなく生まれたのは手足のない肉の塊であった。」
ふたりは肉塊をこまかに刻み、天の神に教えを乞うため「天への梯子」をのぼりはじめた。大風が吹いて包みがほどけ、肉塊は地に落ち、人間が生まれた。」
(君島久子「中国の神話」より)
「」は記入者

コメント
雷をとらえる話の類型は「日本書紀」雄略天皇が小子部スガルに「雷をとらえてこい」という命令をくだすが、スガルは間違えて全国の子どもを連れてきてしまい笑いものになるというのがある。
この挿話は、南方神話の影響から生まれたものだろう。したがって聖書の類似説話との関連は疑わしく、むしろ逆に西洋が東洋の神話を応用したとみるほうが時代的にふさわしい。
古代、自然現象は身近にあって、それは人類と同じはらから生まれたと思われていたのだろう。雷も兄弟のひとりである。人も自然の一部だという観念こそ古代人の着想の源である。
混沌の中から男女が生まれる話も多く、これもイザナギ・イザナミ神話に影響した。
日本では雷は製鉄集団である近江の伊福部氏として現れる。伊福部氏とスガルの小子部は実は同族である。
「古事記」には神武天皇の三人の皇子のうち、神八井耳命は意富臣、小子部連、坂合部連らと並び、火君、大分君、阿蘇君、筑紫三家連ら18部族の祖と書かれている。
阿蘇の君はそのうちの意富臣と同族。鍛冶集団である。阿蘇神社には男女が周囲を回ると結婚できるという松の木がある。
神八井耳命は「忌い人」(いわいびと・神祇を司る神)である。(拙HPマニアが逝く・阿蘇の君が祭る国より)http://2004mmc-kawakatu.cool.coocan.jp/aso.html
意富臣はすなわち多氏である。出雲地方の意富を出自とするが、大とも太田とも、また大野とも同族であろう。従って太安万侶はこれらの説話を同族から集めた可能性もあろうか。
スガルが間違えて子どもを招集したのには、バックに徐福の逸話があることが考えられる。