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『大王家の柩』(私家所蔵本)より
たてが年代。上から順に新しい年代へ。
ピンク石が集中するのは河内、大和、摂津で、それは継体大王以降。推古と竹田皇子の植山古墳だけが奈良時代となる。なぜ推古は愛する息子・竹田のためにだけ阿蘇ピンク石を取り寄せたのか?
それは母の切ない再生への祈りだったのだ。
竹田は愛されていた。そして彼の代わりに摂政として選ばれたのが、強く蘇我と継体の血を引く厩戸皇子=聖徳太子だった。しかし太子一族もやがて滅び、継体の血脈はとだえてゆく・・・。
ピンク石石棺内部には真っ赤な丹が塗られた。
それこそが再生への強い母性を教えている。
やがて時代は蘇我から中臣の時代へとまっしぐらに突き進む。政権も大王の血脈も、何度も代わってゆく。