鬼ワタリ神社のご神体を見せてもらった時、
 オシラサマであった、とはならないか、
そういうところもひとつはあるか、
 二つの石ころだった、ともなる可能施性はある。

 大きい方が、男神で、小さい方が女神だ。
 男神は太陽である。
 では、女神は、月か、それは、何も生まない。
 女神は、水神である。

 始原の信仰とは、そのようなものではないか。

 ヤマトがどこから来て、どんな神を戴いていたのかさておいて、
 大和盆地を制圧した時には、熊野国・伊勢国には、太陽と水が祭られ、
 朝夕二度、賽飯 が、捧げられていたのである。

 大倭のヤマト制圧は、(大きくヤマトは延びていく)

  エミシ(日本はエミシだった)の神々を自祭神のもとに、
 系列化することになる。
 その自祭神とは、太陽をアマテラスとして、最高神にしたのである。

 かくして、女神 瀬織津姫 は異端となった。

 イザナギ が黄泉の国から逃げ帰ったときに、筑紫 と思われるところで
  禊をして、神が出生したが、瀬織津が生まれてはいない。
 日本書紀・古事記には、その瀬織津の名は無い。

 では、どこに、瀬織津 は記録されているか。

 そのあとの、ホツマ伝え に出てくることは、ホツマの面目になってくるかもしれない。

 あとは、神社側の資料である。

 大辞典 に、セオリツヒメ は、出る。
  その典拠は、 延喜式 大祓え (平安時代)

   であり、祓い神四神の一柱に位置付けられたものだ。

 政府文書として、唐突な出現である、のか、外部リンクのようだ。
  ともかく、天智 が、大祓え 編集を命じ、天武・持統
   を経て、文武 が完成した。

 セオリツ は、養蚕の神になって、三河に祭られ、そこから、
  桓武天皇が、遠野に二人の指導員を送り込んで広めた。

 (詳論:「エミシの国の女神」菊地展明 著)
http://diarynote.jp/d/26561/20041005.html










瀬織津姫(セオリツヒメ)
瀬織津姫(せおりつひめ)とは、世の中のケガレを清めてくださる清流の女神。水=雨を司る、最重要な女神として瀬織津姫という神水=滝の美神/織姫/天照大神の后神/祓いの神

三山の神々と「母の神」の社
早池峯神社…瀬織津姫命
六神石神社…大己貴命、誉田別命
石上神社…経津主命、伊邪那美命、稲蒼魂命
伊豆神社…瀬織津姫命

川の瀬にいて人々の罪穢れを大海原に持ち出してしまう女神。
祓戸四柱の1神(瀬織津比?神・速秋津比?神・気吹戸主・速佐須良比?の四神)
祓戸神/祓い所を主宰する神。すなわち瀬織津姫・速秋津姫神・気吹戸主・速佐須良姫の四神

坂上田村麻呂が延暦二年(西暦七八三年)に征夷大将軍に任命され(任命は延暦十六年=797年…引用者)当地方の征夷の時代に此の地に拓殖の一手段として一人の麗婦人が遣わされ、やがて三人の姫神が生まれた。三人とも、高く美しい早池峰山の主になることを望んで、ある日この来内の地で母神の「おない」と三人の姫神たちは、一夜眠っている間に蓮華の花びらが胸の上に落ちた姫神が早池峰山に昇ることに申し合わせて眠りに入った。夜になって蓮華の花びらが一番上の姉の姫神に落ちていたのを目覚めた末の姫神がみつけそっとそれを自分の胸の上に移し、夜明けを待って早池峰山に行くことになり、一番上の姫神は六角牛山へ(石神山へとの説もある)二番目の姫神は石神山へとそれぞれ別れを告げて発って行った。此の別れた所に神遣神社を建立して今でも三人の姫神の御神像を石に刻んで祀っている。

瀬織津姫という女神の名は、これまで、意図的に隠されてきたということもあって、一般の人にはほとんど知られてこなかったわけです。しかし、古来、日本の庶民にもっとも愛されてきた水あるいは滝の女神であったというのが、瀬織津姫の基本的なイメージですね。

記紀では本来の男神・アマテル神は女神アマテラスと名を変えました。一対で祭られるはずの水の女神は、抹殺されてしまいます。天照大神の荒御魂もされ、天疎向津姫ともされる女神は流浪することになりました。流浪の女神の名前それが瀬織津姫です。

早池峰山は太陽神信仰の山でもありますが、モナドノック(残丘)ともいわれ、日本列島でもっとも古い地層で構成された山でもあります。そんな早池峰山の女神として、天照大神荒御魂とは別名瀬織津姫せおりつひめ姫といい、それはソホリ姫のことだというのである。ソフル姫を祀るのならソフル神社であっても不思議ではないということになる。『書紀』や広田神社や金沢庄三郎は、古来の本来のこの神の性格を伝えるものであろう。誠に元初の神々は光輝いている。私はこんな神々が好きで、長々と、しなくても良かった。説明にお付き合いを願ったわけであるが、時代が下るにつれて、この輝きは失せ、まことにつまらぬ姿へと零落していく。神々も人間と同じ運命をたどるのかも知れない。神とて不変ではない、いつまでも青春の輝きが続くわけではない。最後には妖怪となって闇の中へ消えていく。天照大神荒御魂=瀬織津姫は祓戸神はらえどのかみはらえどのかみはらえどのかみと考えられるようになる。

『元初…』所収の神道五部書の一、「倭姫命世紀」を読むとそう書かれている。

『広辞苑』に、
瀬織津姫という女神は、古史古伝の「秀真伝」(ほつまつたえ)のなかで、男性太陽神・天照大神の妃神として登場します。
秀真伝は大物主神と大直根子(おおたたねこ)が編んだ書物と伝えられ、「記紀」にはない男性太陽神の記述があり興味深いです。

瀬織津姫は、早池峰大神とも呼ばれ、千年以上にわたって早池峰郷の守護神として大切にまつられています。

神々の名の展示室のような『古事記』『日本書紀』に記されることがなかったからですが、調べていきますと、名を変えられてではありますが、ちゃんと登場しています。瀬織津姫という名を神々の歴史の表舞台に出してはならないとする大きな力が、記紀の編集思想によって働いたことが、この女神の名が歴史から隠された理由でした。

一、桜の神であり、桜谷明神の異名をもっていること。
一、白山・立山ほかの地神・元神であること(全国にわたる祭祀がみられること)。
一、神宮においては、「アラハバキ姫」とも呼ばれる神であること。
一、京都・下鴨神社(賀茂御祖神社)においては、「糺の弁天さん」とも呼ばれる神であること。
一、日本文学の発生と根源に関わる神であること。

代表的な神社
伊豆神社(岩手県遠野市来内)
早池峰神社(岩手県遠野市附馬牛町)
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遺る罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末低山の末より
佐久那太理に落ち多岐津 早川の瀬に坐す 瀬織津比賣と言う神
大海原に持出なむ 此く持ち出往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の・・・
大祓詞 おおはらえことばの一節

要するにこの神が罪を帳消しにしたところから、追いやられた異人種、異種族が奉った「影の女神」。