1 古事記(ふることのふみ) 序文

天皇の臣下ヤスマロがつつしんでもうしあぐるけんな。

ば~か(大分弁は必ずセンテンスの頭に「ば~か」をつける。以下略)、そもそもがじゃ、いっさいがっさい世界はこんとんで、まんだな~んもうまれちょらんころじゃ。
名前もねえ、目にも見えんで動かん、そげなもんばっかりの頃にな、だれがそげなもんのかたちがわかるかえ?そやけどな、天地が初めて分かれての、3人の神さんが出てきたっち思うちょくれ。これが万物創世(ばんぶつそうせい)の神さんじゃった。
いいかえ?

そんでな、それから女と男が分かれてイザナミさん(女神)とイザナギさん(男神)のふたありが出てきち、いきもんぜ~んぶの親になったんじゃ。ほいでイザナギさんは死後の世界(よみの国ち言うんじゃ)に行っち戻っち来ちの、きたねえものを洗い流そうと目を洗いよったところが、な~んと、お日様の神さんとお月様の神さんを生んでしもうた!海の水でふ~わふ~わしながら今度は天の神さま、地上の神さまもお生みになったんと・・・。

まあ天地始まりの頃の古い話じゃけん、うそかほんとかはわからんが、むか~しから伝わってきた教えん言うとおりに従うしかねえじゃろが、国土を生んだり島を生んだりした時のようすを聞いて、ま~あ本当のところは遠い時代のことじゃから真偽はわからんと言えばそうなんじゃが、(なんべんも不確かですよと断っているわけです。ややあいまいです。)今んところは死んでしもうた聖人さんがたの教えに頼り切っち、神さんが生まれたり、人が生まれたりのこの世のようすを理解できたっちゅうわけじゃわ。

一番ようわかったっちゅうのはな、
鏡をサカキの枝にかけて、口に入れた珠(たま)をはき出して子供を作り、その子孫が百代にも渡っち代々こん地上を治めてきて、こんだあ(今度は)剣を口の中でかみくだき、お~じい(おそろしい)蛇を切り散らかしち、よろずの神々が集まって、タカマノハラを流れよるヤスノ河原で議論して天下をへいていし、こんだ~出雲の国の小浜じゃあ敵と渡り合うて国土をきれ~に清めなさったっちゅうことなんじゃ。

こうしてようやっと天孫・ホノニニギノミコトが高千穂の峰に降りたつことになってな、そいからその子孫のカムヤマト天皇(神武・じんむ)は秋津の島をあっちこっちしたンと。
熊に変化した悪い神が熊野川に出たときゃあ、あめのつるぎ(ふつのみたまの剣)を高倉の中に見つけ出し(尾張一族に助けられ)ナンをのがれたんじゃ。
しっぽの生えた野蛮人たちが行く手をさえぎったときゃあ、おまえ、ヤタノカラスさん(カモ一族)が吉野まで先導しちくれたんじゃ。ほんでそん吉野じゃ、おまえ、ダンスを踊ってはむかう敵どもをはらいのけ、兵士たちゃあ合図の歌をきいて敵を討ち伏せたんじゃわい。

それからだいぶたって、今度ァ、ミマキ天皇(崇神・すじん)は、夢で(オオモノヌシの)神さんの怨霊が出てきて教えられたとおり、天の神と地の神をおそれたてまつったんじゃ。それがために今でもわしらは皆、この天皇を世にもかしこいオオキミ(大君)と敬っちょるわけじゃな。

オオサザキ天皇(仁徳・にんとく)は人民の炊事の煙がたつ様子を国見して人々を教育したから「聖帝」と言われちょる。

ワカタラシヒコ天皇(成務・せいむ)は、国境をさだめ国家を開き、琵琶湖の近くの近江の国(滋賀県)で人々をおさめ、オアサツマワクゴノスクネ天皇(允恭・いんぎょう)は、臣下たちのカバネ(姓)を正しくさせてウジ(氏)を選び定めてトオツアスカ(奈良県明日香村)の地で人々を治めたんじゃ。

人のあゆみっちゅうもんは早さのちがいがあって、こころのかたちもいろいろじゃが、どの天皇も、むかしの出来事をちゃあんとふり返りながら、古いおしえがくずれそうになるのを正しく修正しながら、この世をてらし、正しい道がほろびんようにせんかったなんちゅうことは一度もなかった。

つづく