さいとししろみ・しろみじんじゃ・れいさい

12月14,15日

毎年獲れたばかりのイノシシ数十頭の頭を切り取り、猟師が奉納する。
血の滴る首がずらりと並んだ外神屋(そとこうや)では、米良神楽が夜通し奉納される。
闇夜に灯明が照らし出すイノシシの凄惨な首が並ぶ様は、諏訪大社の御頭祭の血生臭さに匹敵する。
一度は見て、そして命の尊さを実感しておきたい神事である。
もしそれが狩猟に関係すると考えるなら、今一度その首が人間であった時代のことを思い出すべきだろう。もっと凄惨なけしきとなる。

このように諏訪の御頭祭もかんがえると、あれが縄文の狩猟文化のものでとてつもなく古いものだという発想は見事に消し飛ばされる。生け贄の歴史は獣よりも人間が先なのである。狩猟や石器・縄文などとはまったく無縁の弥生以降の大陸的儀式である。
それは犬も食わなかった縄文人が考えつく呪術ではありえないのではないだろうか?