もし邪馬台国が奈良にあったなら、その時奈良にはそれに変わるような対立する王朝がなかったことになる。なぜなら、邪馬台国が奈良にあれば、九州をはじめとするプレ王朝の幾つかがすでにまとまり、西日本がまとまった連合国となっていたということになるからだ。

ということは同時に、日本書紀の言うような天皇はその時代にはなかったということになる。

また、それならば狗奴国はどこにあったのだ?ということになるだろう。

これらすべてを認めてしまわなければ邪馬台国大和説は絶対に証明できないのである。

また、邪馬台国と同時代の王朝である応神王朝=倭の五王政権が河内にあって、それが奈良盆地を取り囲み、そこに邪馬台国が同時存在して孤立していたという考え方もできるが、だとすると、当然、それから欽明王朝へと続く長い政権があるのだから、邪馬台国は応神王朝に滅ぼされたとなってしまうのだ。

こうしてみると、結局すべてを解決できる予測となると、応神以前に渡来があり、それが邪馬台国を作って、日本の南にあった狗奴国と対立していたと考えなければならなくなるだろう。
狗奴国は弓矢を使う武力の国。それは半島から鉄を持ち込んだ応神ではありえない。

以上の矛盾点を100字以内で指摘しもっと整合性のある新説を提示せよ。制限時間10年。