日本の縄文人は犬を食べない。
弥生人は食べる。これは三世紀前後の話。

韓国の料理史には朝鮮人の犬食について次のように説明している。かなり苦しい。

「李朝時代の崇儒主義(儒教を盲信すること)はつまるところ周への復古主義であった。中国の周~春秋時代には犬肉が多く食べられ、”孔子も犬肉を食べていた以上、当時の中国すなわち明、清の事情がどうであれ、李朝時代の儒者たちは犬肉食については何の抵抗感も持たなかった。”ここから、わが国の犬肉料理は大きく発展した。」
李 盛雨『韓国料理文化史』279頁

確かに中国の『周礼』には犬を祭祀のいけにえに使っていたことなどが書かれている。
しかし清の時代までに犬食は禁忌されていった。
半島では新石器時代の遺跡から犬の骨が非常に大量にでている。また4世紀の高句麗古墳には屠殺された犬や豚の絵が描かれている。
同書、同頁。

絵に描いて眺めるほど犬がお好きな民族だったようである。つまり新石器時代から今日に至るまで、半島では犬を好んで食べている。上記料理書でも肉の項の一番目は犬肉料理である。
なにも孔子のせいにすることもなかろうと思う。嗜好は自由である。愛犬家はこの一点だけでも朝鮮民族とは協調できないのかもしれない。筆者はそれ以前に食いしん坊だから、機会さえあるなら向学のために食べるかも・・・いや、やはり遠慮したい。中国人はネズミも食べる。四つ足なら椅子以外は食べるし、二本足なら自分の子ども以外は食べると言われるほどの好食漢である。事実、飢饉の頃に闇市で子どもの交換をしていた記録もある。この時、手探りで子どもを捜し、連れて帰る。他人の子どもなら喰ってしまう。(残酷な話だが胎児の調理法もちゃんと記録がある。ぐえっ)万一運悪く自分の子どもが当たった時は天をあおいで嗚咽し、悲嘆にくれながら、やはり食したらしい。ぐえっ。

中国犬のチャウチャウは主に食用犬である。あいくるしいのに可愛そうに。

犬は体を温め、勢をつけてくれると邸 永漢が書いている。ところがあちらでは最も暑い三伏(さんぼつ)の季節にスープにして食べる。これをケジャン(狗醤)と呼ぶ。三伏というのは、夏至から数えて三度目、四度目、立秋後最初の庚(かのえ)の日をそれぞれ初伏、中伏、末伏と言って酷暑の日としてこう呼ぶ。日本人が土用にうなぎを喰うのと同じ発想で、庚は金気の日であるから、猛暑の火気に負けてしまうほどの一日・・・すなわち伏す日と呼ぶわけである。そこで逆に体を熱くする犬を食べて邪気を払うのである。
この時、鬼神が横行すると言われ、人々は門戸を閉ざして犬を喰ったというから我慢大会のような状況であったろう。ソウル五輪以降は鶏肉のサムゲタンを食う。ちなみにこのスープ、良家では子どもには食べさせないそうである。犬に寄生虫がいるからだろう。

と、これ以上は気持ちが悪くなる方もおられようから、興味ある方は本を読むべし。

くれぐれも勘違いしないで欲しいのだが、現代の中国も韓国も犬は食べていない。これは過去の歴史上の
話である。北朝鮮のことは当然知らない。過去、日本の弥生人も犬食していた。これをもって東アジアの同胞を蔑視するようなことはけしてしないで欲しい。当然の話であるが、世の中にはいろいろな人がいるので、盲信しないように。人間にはさまざまな歴史がある。