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来年の干支にちなんで牛馬のお話を二題。

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延暦十年九月十六日官符(三代格)養老厩庫律逸文
「故(ことさら)に官私の馬牛を殺す者は、徒(ず)一年」(『政事要略』巻七〇)

日本霊異記中巻第五
「聖武天皇朝、摂津国東成郡の富豪が毎年牛一頭を殺して漢神を祭った」


日本書紀皇極天皇元年(六四二)七月二十五日条
「村々の祝部が牛馬を殺して社の神を祭った」



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「ところで、日本では古代の殺牛馬信仰などと供犠の対象として牛と馬はともに大陸伝来の犠牲の対象獣として扱われるが、実際の中国では、ウマが王朝の犠牲になることは少ないようだ。
中国本土では、供犠といえば、1ウシ2ヒツジ3ブタ(岡村秀典『中国古代王権と祭祀』学生社)だそうだ。ウマはお墓に副葬されることがあってもイケニエには使われない。どうも安易に殺「牛馬」などと一緒くたにしてはいけないようだ。漢民族はウマを副葬してもイケニエにはあまりしないようだ。これは漢民族だけではなく、女真や契丹も同じだ。(ただし彼らはウシが一位ではない)」
http://kamosikamiti.air-nifty.com/blog/2007/09/post_f67a.html

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その他中世犠牲処理に関する参考
「不当な差別の結果、いやこのような職種に就かせるために被差別層が封建時代の権力支配者によって策略として固定化され、この屈辱的身分の犠牲のもとに、たとえば、牛馬などの死体処理とかかわって上述の産業(肉業・皮革業・製靴業・荒物業・行商・仲買業
など)が部落に定着してきているのである。」
http://blhrri.org/info/koza/koza_0086.htm

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とうりゃんせ
  通りゃんせ 通りゃんせ
  此処は何処の細道じゃ
  天神様の細道じゃ
  ちいっと通して下しゃんせ
  御用のない者通しゃせぬ
  この子の七つのお祝いに
  お札を納めに参ります
  行きはよいよい 帰りは恐い
  恐いながらも 通りゃんせ 通りゃんせ

 このわらべうたは、江戸時代、川越城内にあった三芳野天神でうたわれ始めたものである。「帰りは恐い」とは、実はお参りにかこつけて城内から手紙(情報)などが持ち出されぬよう、門番が厳重に取り調べたことをうたったものであるらしい。たね明かしをすればそんなものだが、「帰りは恐い」とは何やらそれ以上にそら恐ろしげなのは、なぜだろう。」

「 「七つのお祝い」とはいまの七五三である。いまでは死は老人の問題だが、むかしは死はむしろ子どもに近いものであった。幼児こそがよく死んだのだ(稚児の神性もここに由来する)。七つまで生き延びられたお祝いであり、神への感謝と一層の加護(そのメンバー登録が「お札納め」である)を求めてのお参りが「通りゃんせ」なのである。」

 「祟る神を「御霊」(ごりょう)と言う。生前に怨みを残した貴人が御霊と化した。御霊会はその祭りだ。御霊会と言えば「祇園御霊会」(祇園祭)であるが、これを含めて「御霊」をもう少し探ろう。」

「「八坂神社」とは明治の神仏分離での改名である。もとは「祇園社」である。そこには仏教と道教が色濃く立ちこめていた。」

 「祭神は「牛頭天王」(ごずてんのう)と言うが、これも明治後「スサノヲ」に改められた。スサノヲと牛頭天王は同体だということからだ。その家族までが巻き添えを食っている。合祀の女神・頗梨采女(はりさいにょ)と八王子たちも、クシナダ姫と八柱の御子神とに変わった。
 暦書があれば見て頂きたいが、たいていこの冒頭には聞き慣れぬ神々が並んでいる。これらは道教の神々なのだが(暦とは道教なのだ)、「歳徳神」を真ん中にして「大将軍」などの八方位神が並んでいるはずだ。この歳徳神こそが頗梨采女であり、八方位神が八王子である。」

 「さて、牛頭天王である。その前に「祇園社」であるが、お察しの通り、これはインドの祇園精舎から採られたものだ。そこの守護神が牛頭天王と言われる。それはそれでもよい。しかし日本の祇園社の祭神はそうではないと思われる。
 牛頭天王は、中国に来て、道教の冥界の獄卒となった(もともとは「地獄」の獄卒)。その同僚が馬頭羅刹(めずらせつ)だ。冥界の首領(ドン)は、言わずと知れた閻羅王(閻魔)である。
 その牛頭・馬頭は日本に来て、それぞれ牛頭天王・馬頭観音(ばとうかんのん)に出世するのである。実は日本では牛と馬が問題なのである(日本だけではないが)。」

「 ここで話は「天神」に戻る。前述の通り、農耕の際、雨乞いの祭りをするのだが、そのときに犠牲を捧げるのだ。それが牛や馬だ。牛馬はもと、犠牲の動物だったのだ。だからこそ、これらは神社に因縁が深いわけだ。(ちなみに馬の犠牲も「絵馬」となって、いまも生き続けている。)つまり祇園社は、牛を祭って天神の怒りを鎮め、疫病を防止しようとしたのだ。もう一言だけ、推断すれば、怨霊と化した御霊たちを冥界にて監視しつつ慰撫するにふさわしい獄卒として、牛頭天王が選ばれたのかも知れない。

 長々と祇園社について書いて来たが、実はこの「牛」を引き出すためだ。道真公は丑年生まれと伝えられ、また牛との数々の因縁がある。それらは付会(こじつけ)である。天神様もまた、牛を欲する「御霊」であった。」
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/td/tenjin-01.html

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