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縄文人のお食事
貝塚から出てくる縄文人のお食事風景
食材 貝類    一位アサリ、二位ハマグリ、三位カキ、アオヤギ(アカガイ)、サルボウ、シオフキ、オキアサリ、バカガイ、オオノガイ、シジミ、タニシ、カラスガイなど手当たり次第
    哺乳動物 一位イノシシ、二位シカ、その他クマ、キツネ、サル、ウサギ、タヌキ、ムササビ、カモシカ、野ブタなど手当たり次第
    淡水魚   一位サケ、マス、アメノウオ(ヤマメ・アマゴ)、ナマズ、コイ、ウグイ、フナ、ヒガイ、オイカワ、ウナギ、カジカなど手当たり次第
    海水魚  一位タイ、二位スズキ、三位ヒラメ、フグ、サメ、マグロ、ボラ、マス、サワラなど手当たり次第
    その他海水生物 一位クジラ、二位イルカ 
    雑穀   一位ドングリ、二位トチノミ、三位クヌギ その他菌類、木の実など手当たり次第
    鳥類全般 ツグミ、ハトがお好き。虫も好き。

弥生人のお食事
    コメ
    魚類  一位ダントツでアユ(国栖魚クニスウオ・北九州産を珍重)、二位、淡水産サケ・マス三位コイ、四位フナ、ウグイ、ナマコ、ハモ、アワビなど淡水魚中心、生カツオは敬遠し堅魚と呼ぶカツオ節状の干物、エビ、カニ、ホヤ、ナマコ、イガイ、タコ、クエ
    雑穀 アワ、ヒエ、ムギ、キビなど
    ナレズシ(アユが一番お好き)
    ウルカ(アユがお好き)

平安~室町にかけて食材はどんどん広がり、鎌倉には醤油ができあがり刺身が開始。蒲鉾やなまりも。また産地指定(ブランド化開始)、調理法もふえた。

面白いのは漁業国日本であるのに、魚介類は長く淡水産をよしとしてきたこと。
漁業法の未発達、遠隔であるなどの理由からの保存法の未発達により、輸送に時間のかかる海水産物は「いきぐされ」が多く敬遠された。主に塩漬け、なれずしなどに加工して搬入された。これが今に残る新巻鮭や塩鯖、干物である。

縄文時代は主食が貧弱なため、副食に主が置かれ、ありとあらゆる食材をあるときまかせで。貯蔵法もあったが、ほとんどは見たら取り食べる。
弥生時代は主食が安定したため、副食の食材は「おかず」へ。同時にブランドも発生。貝塚のようなゴミ箱遺跡があまりないため、記録からの推測が多い。その中には実際に食べたものもあれば、神前への贄もあって、どれが食べられたかはなかなか判然としない食品もある。
総じて縄文人は食材にはこだわりなし。弥生人は狭く、こだわりが強い。  
弥生以降は渡来系の食習慣、宗教的禁忌などの影響を受け、食材にセレクトがあった。
ただし、平民の食生活は縄文とあまりかわりなし。

弥生以降の日本人の食事はコメ、アワ、ヒエなどの未消化物、繊維を排泄させるものが多く、日本人は今でも排泄量が世界的に多い国民である。対してパン食の西欧人は、主食と言えるほどの摂取はせず、むしろおかずであるはずの肉を多く取るため、排泄量が少ない。縄文的だと言える。言い換えると酒飲みの食い方に似ている。おかずばかりで主食はそこそこにしかとれなかった。

縄文人(後期縄文時代をのぞく)にとっての主食は木の実であり、関東、東北に多く残るトチ餅の習慣などは縄文の名残であろう。
また関西の牛肉、関東の豚肉といわれる肉への嗜好性は、明治時代に牛肉食がいちはやく東京に入ったにもかかわらず、その定着率が西日本に傾くのも、上方~北部九州が渡来文化の伝統を持ってきたためであろう。関東は縄文的な濃い味を好み、地域によっては(熊本、鹿児島、宮崎、岐阜、島根、鳥取など)甘みのある濃い味を好む。また地域によっては味噌中心、醤油を使わずすましを好むなどがある。

薄味ではない味覚を好む地域で特筆したいのは、熊本、岐阜、天竜川沿い、愛知、長野、東北の一部、関東全域などである。
縄文時代の食材ならば江戸前寿司になろうが、弥生時代の食材なら、なるほど、なれずしになるだろう。
参考文献 長崎福三『肉食文化と魚食文化 日本列島に千年住みつづけられるために』農山漁村文化協会 1994
画像は鯛あら煮 最もうまい部位の目の下のほお肉の どアップ。ふるふるしてむにゅっとして・・・
かわかつお手製。