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野生種牛馬の分布図。
まず馬。
日本で最も古くから存在したのは、南方系の小型馬。
体高が115㎝程度の骨格の小さな馬である。
その子孫と思われる、現在残存するする馬は、縄文時代に南西諸島経由と、その後中国南部の果下馬が南朝鮮経由で来たものの二種がある。
タイ在来種
フィリピン馬
粟国馬
宮古馬
与那国馬
チェジュ島馬
バタック馬
ロンボック馬
ノボシ馬
そして入来のトカラ馬と開聞トカラ馬

弥生時代に半島経由でやって来るのは直接モンゴルから中型の蒙古馬を南朝鮮が軍事用に仕入れ、それが日本に輸入。
木曽馬
御崎馬
などがこれか?

その後は武士の時代になって、中型馬ばかりが輸入されたようだ。
だから陸に残った小型馬にはもしかしたら中型との混血もありうるが、トカラ馬や与那国馬、宮古馬などは島に孤立したから原種のままの可能性は高いだろうという。

不思議なのは、やはり縄文時代の小型馬の到来。
どうやって来たのか。
中国南部の果下馬とはまったく違う「海の道」から来たとしか考えられないが、果たしてどんな船で?

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続いて牛であるが、日本の牛のほとんどは欧州ホルスタインと遺伝子的にはほとんど大差がない。
それがわずかに残った島孤立の野生種で調べても、やはり同じ。
それだけでも不思議なのだが、近年さまざまの食用牛が和牛食味向上のためにもう数十年間輸入されて混血してきたのに、その遺伝子にまったく変化が見られない。
と言うことは牛は混血しても、もとの形質が優性を保つことになり、研究上非常に都合がよい動物なのだ。
これはしかし牧畜関係者には水の泡な話。
熊本県はもともと赤牛を振興してきたが、昨今では、味が淡泊な赤牛が人気うすで、仕方なく黒毛和牛である神戸牛を買い込み、農場試験場でいろいろ掛け合わせてみたが、まったく味に変化がなかったという。だから今の熊本では、従来の赤牛を看板にしながらも、お店は黒毛を勧めるという、まことに皮肉な同情すべき状況になっているそうである。これはさる県の農場試験場の職員の方に聞いたので間違いないだろう。また大分県のガンジー牧場でもインドのガンジー牛が持ち込まれ在来種に掛け合わせたが、これもまったく味が変わらなかった。簡単に言うと、どちらも若牛のようなパサパサ感が強く、うまみが少ないままである。無駄な努力だった。結局、大分県の玖珠町が先んじて神戸牛の種牛を高額で仕入れ、完成したのが豊後牛だった。これは全国的にまったく同じ状況で、申し訳ないが、松坂牛も米沢牛もどんなブランド牛も結局は神戸牛なのであるそうな。だから味の違いはほとんど雰囲気にすぎないが、産地の涙ぐましき努力を思えば、ビールで育てた松坂牛はやっぱり高級品なのである。
しかし、実は、まことに申し訳ないが・・・松坂市に牧場はない。
名店「和田金」の牛舎にわずかに3頭程度の神戸牛が、蝶よ花よと来店客用に育てられているだけなのだ。従って、どこでもこれが出回るなど絶対にあり得ない話なのである。昨今は有名店にのみ出荷されているらしいので、よく確かめて買いましょうね。

ともあれ、こうなるとこの欧州系の牛たちはどうやって日本に来たのか?

欧州西部と日本の中間地域には、今のところそういう牛の遺骨がでてこない。
・・・・?

実は韓国はずいぶん早くから欧州牛を取り寄せた歴史がある。日本はこれを輸入したのである。
だから日本の牛によって野生欧州牛の自然来訪はありえない。
ただ、問題は島に孤立した牛である。
この野生牛はいったい?
朝鮮半島では牛食が何度も禁止された歴史がある。ご存じ儒教の国である半島史上の列国は、民衆に何度も肉食をやめるように指示したが、北部のフン族、モンゴル族、中世の元の来襲などなど、何度も騎馬民族に簒奪されたため、その都度、肉食が復活したのだという。だから韓国料理のユッケ・ジャンなどもモンゴルやタタールの生肉食(なます料理)のコピーである。つまりタルタルステーキの韓国バージョン。
日本も相当古くからこの欧州系牛を食用ではなく、100%役牛として輸入した。しかし山の民などの民衆は、やはり韓国と同じく、古代から狩猟民ゆえに肉も食った。それは神前への供物が馬や牛の首だけであり、ほかは谷底に捨てていたため、神域に住む原住民である国樔などが、下半身を食べたことがわかっている。条例がちゃんと奈良時代になんどもなんども出されている。食うなと言っても食うのだ。民人は。しぶといのだ。
これが日本在来種。

しかしながら先史の時代に、フン族たちが欧州で侵略し、持ち帰った説はやはり個人的には捨てがたい。

となるとしかし、牛の北方からの来訪はなかったのかあったのか?未だにわかっていないと言って良いだろう。
次回からはオロチョン族のシャーマンの風習を見てみよう。
彼らツングースやキルギス(かつての犬戒=けんじゅう)はどうやらシャーマニズムの世界的発生源であり、犬伝承の持ち主で、日本へは、時代を経て、北から南から入り込んだ可能性がある。すなわち縄文人の先祖の大きなひとつの種族である。縄文時代に10万人近くいたという原始日本人=山の民のご先祖かも知れないのだ。そして彼らと南のニライカナイからやってきた琉球人=海人がついに津軽半島の三内丸山で出会った!!そこにあった南海の貝の腕輪をはめたのは果たして犬の氏族の女酋だったか?!
さあ、いよいよ私たち日本人のルーツにみなさんをご招待いたしましょう!!

乞うご期待