長野県諏訪盆地の祭祀形態である「ミシャグジー」について、いくつかの説では「石神」=シャクジンの音韻変化をあげている。
諏訪湖の周囲には7つの巨石の点在が確認されており、先土器、縄文からの原始信仰ではなかったかと考えられているようだ。
このシャクジン信仰は東日本を中心に全国に点在した、共通の祭祀観念だったようで、たとえば東京の石神井地名などもそのなごりかと思える。

流れとしては、在地にあったシャクジン信仰は、有史時代になってよそものが入ってきても消えることなく、むしろ中央の管理者、祭祀者たちに取り込み、利用されていくことが多かった。つまり消し去ることなく、それはそれを祭るものたちも消されなかった、追いやられなかったということなのか、あるいは追いやった後の神やらい、避祟として継続されたのかのいずれかであろう。

石を祭る信仰は世界的なもので、それはどのような種族であろうとも、たとえば弥生人の中にも少なからず存在したのであろうし、われわれ現代人の中にも、少なからず残存している自然崇拝観念と同根だろう。それが発展して行くと道祖神、やちまたの神、さえのかみ、道主神などへ変化するが、基本的には陰陽石、男根崇拝、大地母神などあまり変わってはいない。基本概念は自然の驚異や力強い生命力、再生願望である。理屈ではない「畏れ」だと言って良いと思う。

ではなぜシャクジンと、音読み?なのであろうか?
「いしがみ」ならば古来の大和言葉であるが、なぜ中国音の「せきじん」なのだろう?
なぜ古い原日本人たちが用いた言葉が使われないのだろうか。
となると、ミシャグジー=石神説もにわかにおぼつかぬ気がしてくる。
今ではアイヌ語派生説はほとんど否定され、縄文人もアイヌとは異種だったことがわかっている。
昭和世代は学校で「富士山のフジはアイヌ語かも知れない」という古い比較文化人類学からの解釈を本田さんの文章でなんとなく教えられ、間違いとは思いもしなかった。けれど考古学や考古理化学からDNA分析されたアイヌと縄文人遺骨の比較ではどうやら違うぞとなってきた。

意外と彼らの言語は世界的な共通語だった可能性はないか?
むしろわれわれの方がグローバルという点では先史の人々よりずいぶん遅れているのではないか。


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