「水田耕作が順調にすすめられるようになると、堰を作る大土木工事がなされる。その折りに人柱が立てられた」
「人柱には、神の託宣を聞いた子連れの女性が選ばれる」
「この点と関連して、もう一つ見落としてならないのは、人身御供にみる祓浄(ふつじょう)の要素である。つまり人柱が立つことによって、災難が消去されるという思考である」

小松和彦編『怪異の民俗学7 異人・生贄』宮田登「献身のフォルク」河出書房新社 2001

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生産の安定は、かなえられる以前には民衆すべての垂涎の希求である。
そして主食の安定は、副食採集にバラエティさを与え、いよいよ生活は豊かにたのしいものとなってゆく。
だから女は安心して子作りができるようになり、人口は自然に増えて行く。
ところが、今度は増えた分の食い扶持を生産しなければならなくなる。
領地や水田を拡大するために、近隣のテリトリーと接触遭遇するようになる。
こうしていくさになる。
これが人類の宿命である。

増やした水田はしかしながら、度重なる水害、洪水に遭遇するような場所でしか拡大できない。
おのずと河川流域の湿潤な低湿地へ進出するが、自然の猛威には勝てない。
縄文海進が残された深い湾処、河口は何度も洪水に遭う。
ゆえに人柱が立てられる。

そしてそれは女性から始まる。
なぜならヒコヒメ制のもとで管理者は「日と月」=男と女=すなわちカンナギと巫女(カンナメ、あるいはカンナミ)からたてられており、巫女は夜の世界、月の世界、食物の世界をもがるハフリであったからだろう。

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日本書紀、天武天皇紀10年7月30日
「天下の命(のりご)ちてことごとく大解除(おおはらえ)せしむ。此の時に当たり、国造等、各祓柱(はらえつも)奴婢(ぬひ)一口を出して解除す」
すでに「柱」の文字が使われている。
此の国では神も「柱」で数えるわけであるから、神も人柱もともに柱で、同等である。
なぜなら人柱は災厄の神に食われる食物=にえだからである。
したがって「死ねば仏」という日本人独特の祭祀観念も、決して仏教的なのではなく、むしろもっと古い神道観念・・・正確には神道以前からの「祓い」「神やらい」から発するのである。

これは西欧で言うスケープゴートのも似ている。
スサノウと八岐大蛇と生け贄・奇稲田媛にも似ている。
どれも同じ供犠観念だと言える。

天武天皇の御代になってさえ、卑弥呼時代の持衰(じさい)とさして観念に変わりはないことに気づく。
これは今でもうすうすまだそのままで、日本人の中に受け継がれている。

ひるがえって推古女帝と聖徳太子もまた、ヒコヒメである。
「おうきみ」は国家の人柱となる責任があった。
ゆえに巫女=推古とカンナギ=太子という構図を、隋書は「日と月」「夜を兄とし、日を弟となす」という表現にしたためたのであろう。
したがって古代の王制は男女の裏表による二人体制だったわけで、それはおそらく最近まで、そうだった可能性がある。
大物政治家たちが占いに日参する理由も、こうした2000年以上の伝統を受け継いだ(言い換えると誰もひとりで決められない政治)ためであろうか?小泉だけはそれを打ち破ったのかも知れない?さあ?
表面上はね。