阿蘇葦北紀行は第4章まで進み、阿蘇ピンク石が実は王朝交代の石だったことがあきらかにされましたよ。王家の交代劇の陰で葦北国造がいかに力をもっていたか、彼らが吉備臣子孫で、応神王家の姫の子孫だったこともわかりました。
吉備王国の衰亡の陰で熊本の葦北にいた吉備臣弟鴨分たちは生き残り戦術に向かわねばならなくなりました。そこへ最後に阿蘇氏が大化の改新後に入ります。これはエキセイ革命だったのでしょう。

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