章懐太子墓(李賢王墓)

漢の高宗の子、章懐太子賢(李賢)の墓
651(?)~684年
字は明允
高宗第6皇子
 章懐太子墓壁画 迎賓図(706年)→http://www.cpcjapan.com/china/history/historic%20pictures/photo3/syoukaitaishibo003.html
(※奈良県高松塚古墳と同時代の壁画古墳ゆえによく比較の対象となる。)

高宗と武則天の二番目の子供、嫡子NO,2の存在。
聡明で父の寵愛深く、永徽6年(655)(※)王に封じられ、岐州都督、幽州都督などを歴任。
咸亨3年(672)名を徳と改める。
上元元年(674)元の名に戻す。
上元2年に兄皇太子の弘が死ぬと、代わって立太子。
更に監国に任じられ、彼の審理は的確で、高宗もその才覚を非常に喜んだという。



この古墳を筆者が知った情報源=茨城県ひたちなか市公民館長・考古学者・鴨志田篤二氏講演会

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