すでに氏族に詳しい方にはわずらわしいだろうが、このブログは文献古代史初心者(つまりKawakatu)にわかりやすくするためのものだからお付き合いを。にわか歴ファンでもわかる古代の政治。
蘇我氏の出自1(文献から推測される蘇我氏)
■応神天皇(大王)系図
倭五王讃・珍・済・興・武
(15代)応神天皇---(16)仁徳天皇-┬-(17)履中天皇---┬--(24)仁賢天皇----(25)武烈天皇(武)
| ∥ ├-(18)反正天皇 └--(23)顕宗天皇
? 磐之媛命 └-(19)允恭天皇--┬-(20)安康天皇
| └-(21)雄略天皇----(22)清寧天皇
|
(26)継体天皇-┬-(27)安閑天皇 ┌--(30)敏達天皇 ------(34)舒明天皇-------→天智天皇へ
├-(28)宣化天皇 ├--(31)用明天皇--厩戸皇子 ∥
└-(29)欽明天皇--┼--(32)崇峻天皇 吉備姫王-┬-(35)皇極天皇[(37)斉明天皇]
倭五王讃・珍・済・興・武
(15代)応神天皇---(16)仁徳天皇-┬-(17)履中天皇---┬--(24)仁賢天皇----(25)武烈天皇(武)
| ∥ ├-(18)反正天皇 └--(23)顕宗天皇
? 磐之媛命 └-(19)允恭天皇--┬-(20)安康天皇
| └-(21)雄略天皇----(22)清寧天皇
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(26)継体天皇-┬-(27)安閑天皇 ┌--(30)敏達天皇 ------(34)舒明天皇-------→天智天皇へ
├-(28)宣化天皇 ├--(31)用明天皇--厩戸皇子 ∥
└-(29)欽明天皇--┼--(32)崇峻天皇 吉備姫王-┬-(35)皇極天皇[(37)斉明天皇]
■いささか気が遠くなるだろうけれど、蘇我氏が台頭してくる宣化大王時代までの大王家系譜を把握願う
■応神以降の記紀の系譜や記事には、三輪王朝以前より格段に信頼性が高いので、文献による古代史分析は一般にここから始まるようである。
■(ただ、今の天皇家に直接つながるのは継体大王からだとされる。継体と応神に直接の血縁がない可能性が高いからだ。継体は大和にいた大豪族の嫡子だという見方が一般的。忘れなければ後日分析予定)
■応神以降の記紀の系譜や記事には、三輪王朝以前より格段に信頼性が高いので、文献による古代史分析は一般にここから始まるようである。
■(ただ、今の天皇家に直接つながるのは継体大王からだとされる。継体と応神に直接の血縁がない可能性が高いからだ。継体は大和にいた大豪族の嫡子だという見方が一般的。忘れなければ後日分析予定)
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■仁徳(倭王讃?)時代以後の最も有力な外戚(がいい=大王に嫁を差し出して親戚になったもの)は葛城氏である。
葛城襲津彦--|---磐之媛
|
|---葦田-------黒媛-------市辺押磐------顕宗・飯豊青皇女
| |--蟻------ハエ媛
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---玉田--------円------韓媛|---葦田-------黒媛-------市辺押磐------顕宗・飯豊青皇女
| |--蟻------ハエ媛
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■葛城襲津彦の娘・磐之媛は仁徳に嫁してその子は代々大王になった。
■葦田の娘・黒媛は履中に嫁して顕宗の父親を生んだ。親族結婚だが血脈はいよいよ葛城系へ。
■つまり葛城氏は大伴大連・物部大連をも抑える当時の最大実力者。(東国の膳はまだ弱小。これがやがて阿部氏になる)
■允恭までは葛城系大王だがそのあとの安康はそうではなかった。これがわずか三年で甥・眉輪王(まゆわの・みこ)に暗殺される。身内にやられるのは以後一般的。勢力争い。身内が最大の政敵というのが古代。
■ところが眉輪王は葛城円(つぶら)の屋敷に逃げ込み、かくまわれる。
■雄略(武)はこの事件を葛城氏の策謀と判断。葛城円をけん制するために葛城系の市辺押磐を殺害。
■この時、雄略の背後で暗躍したのがオウホド王と允恭妃の父。
■葦田の娘・黒媛は履中に嫁して顕宗の父親を生んだ。親族結婚だが血脈はいよいよ葛城系へ。
■つまり葛城氏は大伴大連・物部大連をも抑える当時の最大実力者。(東国の膳はまだ弱小。これがやがて阿部氏になる)
■允恭までは葛城系大王だがそのあとの安康はそうではなかった。これがわずか三年で甥・眉輪王(まゆわの・みこ)に暗殺される。身内にやられるのは以後一般的。勢力争い。身内が最大の政敵というのが古代。
■ところが眉輪王は葛城円(つぶら)の屋敷に逃げ込み、かくまわれる。
■雄略(武)はこの事件を葛城氏の策謀と判断。葛城円をけん制するために葛城系の市辺押磐を殺害。
■この時、雄略の背後で暗躍したのがオウホド王と允恭妃の父。
応神天皇--------稚渟毛二俣皇子--------意富々杼王-------三代孫が継体?
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---忍坂大中姫-------安康・雄略
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---忍坂大中姫-------安康・雄略
■こうして葛城氏に代わってオウホド(継体の三代父だとされるが?)が力を持った。
■しかし彼等は王族ゆえに政治の表舞台には出ず、片腕として平群氏や大伴、物部を使った。
■しかし彼等は王族ゆえに政治の表舞台には出ず、片腕として平群氏や大伴、物部を使った。
◎つまり大王がいるけれど、王が暗躍しフィクサーになって、直接の政治は氏族を大臣にしたという古代政治体制がこれ。非常にややこしく、めんどうなやりかた。自民党政治など目じゃないくらい複雑で見えにくい。しかもその下にまだ官僚(渡来系氏族など)がいる。
◎つまり政治は「穢事(きたなごと)」であり、王家の仕事とは考えられていなかったわけ。
◎王家の仕事は「ハレ」の祭祀のみ。これが天皇家にも受け継がれた。
◎そのくせ暗殺による政権交代は大好きだったようだ。充分キタナゴトだと見えるが?
◎つまり政治は「穢事(きたなごと)」であり、王家の仕事とは考えられていなかったわけ。
◎王家の仕事は「ハレ」の祭祀のみ。これが天皇家にも受け継がれた。
◎そのくせ暗殺による政権交代は大好きだったようだ。充分キタナゴトだと見えるが?
■平群真鳥が大臣、大伴室屋と物部目の二人が大連(おおむらじ)になった。トロイカ体制。
■それまでの体制では葛城襲津彦や円が一人で政治していた。独占政治。
■この事件で大和の政治体系は大きく発展(複数外戚になっただけだが)したことになり、雄略大王は大安泰。
■平群氏は葛城家の分家
■雄略はさらに体制強化と葛城本家の反発を緩和するために葛城円の娘・韓姫をめとる。
■この段階で葛城本家の娘たちの名前が悪字にされている。葛城韓姫、ハエ姫など。
■やがてこの体制への反駁が次第に起きてくる。そこで登場するのがもうひとつの葛城眷属だった蘇我氏というわけだ。
■それまでの体制では葛城襲津彦や円が一人で政治していた。独占政治。
■この事件で大和の政治体系は大きく発展(複数外戚になっただけだが)したことになり、雄略大王は大安泰。
■平群氏は葛城家の分家
■雄略はさらに体制強化と葛城本家の反発を緩和するために葛城円の娘・韓姫をめとる。
■この段階で葛城本家の娘たちの名前が悪字にされている。葛城韓姫、ハエ姫など。
■やがてこの体制への反駁が次第に起きてくる。そこで登場するのがもうひとつの葛城眷属だった蘇我氏というわけだ。
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にがてな記紀氏族分析だが、これでかなりわかりやすくなった気がする。
次回、その後の展開へ。
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