以前の記事で竹並横穴墓群を「秦氏のいた場所ではないだろう」と書いてしまったが、実際には確かに一部横穴様式には隼人系のものがあるとしても、同時に多くの渡来系土器が出土している。
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横穴墓であるから渡来系とは行っても実務を行う秦の民=秦部の使った土器であろうかと思われる。
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非常な割合で豊前全域に住まっていた秦部と勝部であるから、「秦氏ではないにせよ」秦の民がいた「丁里」の可能性が最も高い地区のひとつと言っていいだろう。前に検証した勝山黒田の二つの古墳が首クラスの秦であるとすれば、その管轄下にあって実務にあたったのが竹並や八景山山麓横穴墓群の秦部とその部下だったと考えると、その中にあきらかに隼人式地下式横穴墓に近い墓を持つ人々もいたことがわかり、秦部組織の配下は思ったよりも種族が多かったことが見えてきた。
表のその他にあたる一群の中におそらく隼人もいたことがわかっただけでも今回の豊前分析には成果があったことになる。

結語 勝山黒田の古墳の例証から、勝姓を持つものは秦首(はたのおびと)でよいと思う。
秦首は中央の秦氏のピラミッドの中で地方へ出向いた、あるいは地方在地のリーダークラスだったと考えられる。その下に秦部集団が統率され技術者コミューンがあった。それを現場監督する階級もいて、横穴墓の中でも玄門や装飾や線刻画をつけて葬られた者もいたということになる。
秦氏の組織構成が古墳、横穴墓分析から見事に見えてきた。

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