国家とはなにか?
中沢新一は自著『対称性人類学』の中で次のように国家と王を規定しようとしている。

「国家のない社会では、力の源泉は自然の奥底にあるものと考えられ、森の動物の王者である熊のような存在が、そのような「真実の力」を体現していると思考されていました・・・・「王」という存在の出現が、そういう状態に決定的な変化をもたらします。王はかつての首長と同じように、社会的秩序を創出し、維持する働きをおこないますが、それを首長が持つことのなかった権力を背景としておこなうのです。その権力を王はどこから手に入れることができたのでしょうか? もともとそれは自然の奥底に潜んでいるものでした。そこにある力の源泉に手を触れることができるのは、かつてはシャーマンや戦士だけだったのですが、王は一人のシャーマンとして、また戦士として力の源泉に触れ、それを携えて人間の世界に立ち戻り、社会の内部の力の源泉を組み込むことに成功した、と主張した人物だったわけです。」

要するに、王とはもともと巫者であり勇者なのである。
王がまだ出現しない世界では、この世界=宇宙を動かす力の源泉は自然の領域・・・つまりシャーマンの手元にあった。巫女、巫覡の託宣は宇宙=神の声でありえた。しかし王はそれを力でも体現し、自らの欲望があたかも神の意思であるかのようにふるまい、そして勝ち、国家を樹立した。それはシャーマンよりも即物的に眼に見える能力であった。
ゆえに人々は王とシャーマンのどちらを選択すればいいのか迷うようになった。

”「宇宙の根源の力」を持っている点において両者は外見上そっくりであったのである。”

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葛城一言主神社

このシャーマンと王の相似について『日本書紀』は葛城一言主と倭王雄略の出会いで表現した。
先祖の数々の侵略と自らの知略で、名実ともに倭王となった雄略は、葛城の山に狩りに出かける。そこで自分達一行とまったく同じ服装の一団に出会う。「おまえは誰だ?」と居丈高に聞くと、相手は「われこそは葛城の神である」と応える。雄略はそれを聞くと慌てて下馬し、ひれ伏して帰順するが、やがて本性を表し、葛城の神・一言主をなめてかかるようになる。そして最後には大和の先住民である葛城一族を滅ぼしてしまうのである。

雄略が手にしたのは完璧な統率者としての王権である。
しかしやがて慢心し、卑劣な暴君へと様変わりして行く。

この一言主という神は大阪と大和の境にある葛城王国ともいうべき古い先住国家の首長を象徴している。河内から大和に入って間もない新参者の雄略は王から大王へという野望に満ち溢れているこの国の最初の王である。王と首長の違いはここにこそある。首長は地域のリーダーでしかなくその手にはそれでもリーダーとしての呪力があった。それはあくまでも自然の摂理を神とし、神に従属する存在で、大自然にとって決して脅威ではない。しかし王は神の代弁者であるとともに、やがて神をも上回る存在を求めようとする、摂理そのものになろうとする者である。それは地球の摂理から見れば脅威である。

なぜなら、現代の戦争を見ればわかるように、人間はやがては地球を圧迫できうるだけの武器を開発してしまう生き物だからである。人間とはそもそもただの猿の延長線上にある善良な一動物に過ぎない。しかしそれが王を、国家を持ったとたんにおぞましき悪魔になる。
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一見、神の代弁者であるシャーマンとまったくよく似た存在である王は、力を持った瞬間からメフィストフェレスになろうとするのである。これは神にとって脅威でしかない。

一方シャーマンの方は力を持っていてもただ山に入り、そこから呪力を得るだけで満足している。力は征服のために使われず、隣り合う地域との共存へ向かう。

これこそが縄文の生き方ではないか?
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役行者も葛城山に篭り、神から方術、呪力を得ても、なお山にとどまり、決して出てこようとはしない。しかし彼は山の神同様、麓の人々に畏れられ、崇拝されている。口を開かずとも、人々は山を遠くから見上げ、畏怖した。山とは遠くからながめて、そこにいる神を感じるだけでそこに規律と威厳と摂理を暗黙のうちに教えてきた。ところが王はその山の頂上に登ろうとする存在である。あまつさえ自身が神にならんともくろむ存在である。

呪力は同格、しかし目的がある王には、神はさほど畏れる存在でもない。むしろそれが邪魔でさえある場合もある。事実、雄略の先祖は、瀬戸内の吉備の首長でさえ殲滅して河内にやってきた。

こうして望まずして葛城の修験者たちは国家と立ち向かう宿命に落ちてゆくのである。

後の時代にも、織田信長はやはり一向宗や本願寺を圧迫している。宗教者と国家が二分され、不可侵となっていったのは西欧がいち早くそうした。民主主義が祭政不一致を原則とするのも、この歴史の中から生まれた知恵である。ようするに葛城修験道も吉備王も、そして出雲も五世紀の国家によって完膚なきまでに壊滅させられたのであろう。

日本の東九州に修験道が入るのとちょうど同じ時代、朝鮮半島の加耶でも、まったく修験道によく似た集団が生まれている。次回は半島の「花郎(ファラン)」と修験、その母子社会性について。東九州から対馬、加耶にかけて加耶系渡来人がこうした山岳における集団を形成する背後には母系社会と童子信仰があった。それと先住縄文からの山の民は英彦山で出会っている。猟師・藤原恒雄というきわめて不可思議な人物と・・・。


つづく

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