本来なら「考古学」の対象物であろう山梨県金生(きんせい)遺跡の丸石。
これをあえて「異界」のモノとして扱っているのは芸術人類学を提唱する中沢新一である。

金生遺跡は縄文後期の遺跡。
山梨県の中心は今は甲府盆地であるが、気候がまだ暖かだった縄文時代には丸石はかなり北部の山麓地帯まで広がっており、その範囲は諏訪から伊那に及ぶ弥生時代以降の双体道祖神の多い一帯と交差していた。それが気温の低下に伴って南下したらしい。



丸石とともに大量に出た石棒と併せて考察すれば、前に書いた石のスリコギと石臼の関係に合い似るオブジェである。つまり丸石は「完全なるマトリックス(子宮)」を表すのだろう。一言で言って丸=女性であろうか。

考古研究者はこれを見て驚き、あきれ、謎だと言うけれど、人類学や神学の立場から見ればそれほど違和感のある石造物でもない。世界的に見ても丸い石を好んだ地域は南米などほかにもある。それらの並べ方などから、いくつもの大小の満丸く加工されたそれらは天体、星の並びにも似ているとされ、ようするに南米の古代文化人たちはそこに天体図を描こうとしたなどと言われることが多いようだ。

金生遺跡がそうだったかどうかは知らない。しかし丸い石は女であると同時に月でもあるのは間違いなかろう。満月=完全なるもの=生命を生み出す健康な子宮・・・こういう観念は今の我々にもけっこう矛盾なく捉えられていると言えるだろう。

子供が見るお母さんのイメージは、丸、円ではないか。
円満という言葉には間違いなく優しさが含まれる。

母は子宮を持ち、子供を作り出す女であるとともに月のごとく円満で健康であらねばならなかった。それはまさに大地、地球そのものではないか。

正月の鏡餅がなぜ丸いのか?
関東以北で、よく餅が四角いんだと言われているが、さて、では四角い鏡餅など見たことがない。いかに四角が保存に適し場所をとらぬ形だったとは言え、まさか真四角のおかがみなどありえなかった。四角な餅は桃の節句の菱餅しか作られない。年季である正月の餅は丸であり、月見団子や芋名月のサトイモも丸である。武士が多かったから四角くなったはずの、四角四面な儒教観念が形を換えさせたなどと噂される関東の餅ですら、鏡餅だけは日本全国丸いのだ。

石棒と丸石もコンビはなにも山梨だけに限るものでもない。その根源はすべての世界に共通の観念だろう。生物学のオスメス記号でも○から→は男、○から+は女である。このメスを示すプラスとは、ほかならぬ電池のプラスマイナスに他ならない。+は子を増やすマークではないか。男がマイナス、女が+だと言うのではないが、それは東洋では陰陽となるしかあるまい。

全国で、路傍のささやかな祠などに、丸い石は祭られている。本当は石の棒がセットでなければあまり意味がない気がする。確かに種によっては雌雄同体もあるだろうが、ほとんどの生物はオスとメスの交配で新しい生命を生み出す。種によっては生殖の時だけメスになるものもあったりする。

それにしても縄文人に限らず現代でも、まだ一般には生殖によって生命が誕生する事実は、まことに不可思議なものである。

子供の頃、夜中に起き出してトイレにいこうとしたら、とうちゃんがかあちゃんをいじめていたというような経験はあるかも知れない。そうすると、子供はそこでとうちゃんを嫌悪することになるだろう。ということはひとつの成長、一歩大人に近づくことになるだろう。普通なら一般に小学3、4年生の第一次、次に17歳くらいで第二次の反抗期を迎えながら、大人を嫌いになりつつ成長するのだが、幼児の頃にそういう経験をすると、それはプレ反抗期を突然迎えてしまうことになる。

大人を嫌いになるとは間違いで、実際には大人になることへ抵抗しているのだ。つまり恐れである。大人になればその先には死が待ち受けているからである。そこで代償行為として母親つまり丸いものにあこがれるのであるが、それが思春期である。女性が成長すると丸くなっていく。オスの願望はメスに体現されているわけであり、それは自然の用意した子孫繁栄のための変化である。それをセクハラであるとか、いやらしいとか決め付けるのは現代が平和だからに過ぎない。そういうことで自分自身をがんじがらめにするから日本人は少子化へとまい進してしまった。古代人はどんどんいたすのである。ついこないだまで、祭りといえば、神社の裏と言えば・・・である。それは世界の歌垣やフォークダンスが男女交配のためにあったことと同じ、子孫繁栄のための儀式が祭りなのだ。神は男女の交わりを歓ぶのである。
交わらねば滅びるからだ。

丸石と石棒が、弥生人、倭人、長江から半島を経由する間にも同じくあった。だからそれは双体道祖神に繁栄された。つまり世界人類みなすけべなことばかり考えてきたということである。これすなわちまぐわいである。そこに身分など関係ないわけである。人類が唯一、自然の摂理を継続し、体現する行為がそれである。それをしないのなら人類に、あらゆる生物に存在の意味はなくなる。そして生まれた生命は死して60億年の地球の肥やしとなる。大地とは累々たる生物の死体によってできていると言っていい。
おれは嫌だ、あたしは嫌だなんていうわがままは許されない。すべては君や私のためにあるのではなく、宇宙のためにある、それだけが唯一の真理ではあるまいか?そのほかはただ時間の捨石でしかありえない。
考古学だろうが歴史学だろうが、真理に近づくためのヒントのひとつに過ぎない。宇宙から見ればどうでもよいもののひとつに過ぎないのである。人間は真理を求めることで宇宙に近づこうとする。生殖と哲学こそが人間にできる数少ない真理ではあるまいか。あとはおまけと付録でしかない。


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