土師器には二通りの概念がある。
1平安時代『延喜式』の土師器概念
2最近の現代考古学での須恵器と区分するための土器概念
例えば・・・
「土師器という語は『延喜式(えんぎしき)』にみられ、『和名抄(わみょうしょう)』で「波爾」すなわち「はじ」と訓じているから、平安時代にこの名が使われていたことは確かである。この名称を古墳時代の同系土器にまで及ぼそうというのは、まったく便宜的な理由によるものである。しかし、『日本書紀』雄略(ゆうりゃく)天皇17年条に、朝廷の料器をつくる部民として「贄土師部(にえのはじべ)」を設けたという記述があるから、その名のおこりは案外古いかもしれない。もっとも、考古学用語として土師器の名が定着したのはさほど古いことではなく、「埴部(はにべ)土器」が使用されたり、弥生土器ともども「埴瓮(はにべ)土器」の名で総称されたりしたこともあった。」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%9C%9F%E5%B8%AB%E5%99%A8/

『皇太神宮儀式帳』では 男が須恵器、女が土師器を作ったと記録がある。
『正倉院文書』では借馬秋庭女(かるめのあきばめ)が土師器を作り、讃岐石前という男が土と掘り、薪を刈り、藁を準備し製品を運んだと記録がある。
どちらも土師器は女が作ったと記録されている。

世界的に見て、多くの民族が、ロクロを使う場合は男、手でこねて作る場合は女が圧倒的に多いそうである(佐原真)。
日本の土器は大まかに、大きく重いものは男、小さなもの、口の細いものは女が作ったとされる。
だから北部九州弥生時代の甕棺は男の手によるものと考えられる(佐原真)。
またもっと大まかに見て、最初から土師器は女の技術として、須恵器は男の技術として伝わったのだと考えられている(小林行雄)。

ただし、須恵器に関しては『皇太神宮儀式帳』(804)以前の記録がなく、それが確実にそうだったとは言いにくい(筆者)。
およそ中国華南に生まれた神仙思想では、土器は大地母神が作るものであった。水と泥によって捏ね上げ、それを火で焼く土器全般の技術は女性のものというのが思想の基本にあった。そこにはのちの陰陽道に通じる概念がある。土器を構成する土、水、火の三要素は陰陽五行の水・火・木・金・土のうち三つまでも含んでいる。古代の大地が母に例えられたように、女は生命を生む不可思議な呪力を持たされていると考えられていた。そこであらゆる器物・生物もまた女から生まれたと考えられた。

容器の派生は、当初、当然食の必要から生まれたと思われる。アメリカのマードックの統計によれば、世界の民族の大半が、現在でも台所仕事を女性にまかせている。土器が最初に作られたときから料理は女の領分だったと考えるしかない。土器は女性の職業の必要から生まれてきた。これが男だったら、大きな鍋ひとつで食事を済ませてしまったことだろう。
事実、縄文土器のほとんどは世界の狩猟採集民が考案した、大型の煮炊き用のものと共通している。大鍋ですべてが終わるのは、調理対象が動物だったからである。煮て、掴みあげて、むさぼるだけの味気ない食事の時代が長く続いたということだ。
やがて農耕が始まり、食は雑食へ切り替わると、はじめて細かな道具が生まれてくる。

ただし、ふちを必要以上に湾曲させたり、連続した円弧の装飾をほどこしているのは日本の縄文土器だけである。
つまり縄文土器は実用よりも祭祀に使われたものが、特に東日本のある地域では異様に発達した。
実用的で取り分けに使われる土器や食器は弥生時代以降に出現する。




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