アメリカの文化人類学者・ファーガソン[Ferguson]の唱えた「セデンティズム(定住生活)が平和を破った」という説が「戦争定住起源説」(1997)である。

「移住する採集民集団は他の集団との関係が悪化すると敵対した相手の前からすばやく離れる。そうすることでほとんどの戦争(オールモスト・ウォー)を回避できる。すなわち緊張の解消である。ところが定住すると、この「平和な選択」ができなくなる」

世界の定住は、農耕地と墓地を持つか否かで判別できる。農耕が平和をもたらさないのは、農耕地を守る必要が生じるからであるというのが現代の一般的考え方である。そして墓地を持てばそこに精霊(スピリッツ)が帰ってくるという観念も生まれ、この二つで人類の「保守」の開始となる。

暴力によって人が人を殺傷する歴史は更新世にまで遡る。イラクのシャダ-ル洞窟の5万年前の地層から出た58体の老若男女の遺骸のうち24体が体中に116個の石器が見つかった。中には骨につきささったものも多かった。これがインターナル・ウォー(集団内闘争)だったかエクスターナル・ウォー(外戦)だったかは知らないが、これが今のところ最古の武力戦争の痕跡である。
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佐原真は倭国大乱は内戦=集団内闘争だったと考えている。筆者はそうは思えない。外敵との闘争ではなかったかと考えている。日本海側にたどり着いた先の一族と、あとから来た一族の争いだったと考えている。後着は1世紀前後から九州に逃れた長江流域呉越の民、九州から日本海を東へ出て古志などと交流していた「渡来倭人」であろう。先着は華北、匈奴など北方勢力に押し出された民ではあるまいか。先着後着は逆だったかもしれない。三世紀、日本に先住していたのは旧石器、新石器人の混生であるが、彼等に武装抗争はなかった。彼等は定住せず、狩猟採集する。だから無駄な戦はする必要がない。争うのは守るものがある人々だから、倭人とは渡来外国人ということになる。

つまり筆者は「倭人とは広義の日本人とは言えなかったはず」と考えている。

面白いのはスキタイや匈奴である。
墓があるのに都市がなく農耕地もない(途中から農耕スキタイも出現したが)、定住しないのにも関わらずスポーツのように戦いを挑んだ。世界の例外民族が騎馬遊牧民である。ゆえにこの例外には「馬による放浪」も平和を壊したとなる。おそらくそれは舟の民も同じだったろう。何事も定説だけではおさまらない。ものごとには必ず例外がある。けったいなことであるが、そこには真実しかないのも仕方ない。


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