少彦名(すくなひこな、すくなひこ)も医療の神である。
それでこの神を祭ることが多い全国出雲系粟島神社にはのちに薬師が垂迹していることが多い。

粟は古くから畑作農作物のひとつだが、なぜか粟畑と言わず粟田(あわた)と言う。
森浩一がこれについて禾は粟で、どちらもアワと読む。スサノオが高天原から追放後、殺害してしまうオオゲツヒメの体からも粟が噴いて来る。粟の国=阿波国はオオゲツヒメで象徴される穀物=国魂である。粟とは禾(穀物)から生まれる子供。つまり粟の茎から下、あるいは粟の全体は禾と書く。穂からとれる穀物を粟と表記したこととなる。稲と米の違いに通じる。
『伯耆国風土記』に相見郡粟嶋の地名にちなんで少日子(すくなひこ)が禾を蒔き、穂が実るとそれに乗って常世の国にわたったとある。粟嶋とは米子市夜見浜にあるという。中国では「田」は畠も意味している。豆田とか粟田は畑であり、芦原中原国とはもともと粟やキビがたなびく野原だったのだ。中国の中原(ちゅうげん)から来た観念だろう。

と書いている。粟田口という地名が京都市内にある。あそこももとは焼畑か畠だったからだろう。

常世の国とはなにか?
出雲こそが常世ではないのか?という疑問が湧いて来る。
出雲は常世ではなく黄泉の国である。
それで西のかた、大陸を彼岸の場所、暗黒の国として常世と言ったのだ。

海の彼方である大陸は確かに彼岸であろう。

そして常世とは闇=日が没する場所という意味がある。
いわゆる聖徳太子の「日没する処」とは常世の国という、中国に敬意を払った表現なのである。

ところで粟は焼き畑農業の作物である。
つまり先住民の作物であり、北方系の植物である。
昔は夫婦ふたりの一家が粟五反で一年食えたと言う。
実に効率がよい。
中国華北では粟を禾で表記して、イネ科植物の代表にしている。寒冷地で乾燥地帯が多い華北の主食であった。それがコメの伝播で米食に変わったのである。つまり東北や日本海側と華北の気候は似ており、そこが焼畑に適していた。そこへ南方系コメが入ったのが弥生時代後期。九州から伝播する。出羽などに遠賀川式土器が大量に出土するのはそのためで、出羽海岸部は考古学では「東北の遠賀川」とも呼ばれる。

この粟を少名彦儺が懸命に植えて酒も造ったので、民衆は健康になるから彼は医療の神になったのであろう。

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