八重山諸島の石垣島川平(かびら)に伝わる節祭(せちえ)にはマユンガナシという神(精霊)が登場する。「マユ」とは「豊かな真の世」のことである。「ガナシ」は敬称。で、あわせて「真世の皆様」という意味である。
石垣島ではマユンガナシの登場を境にして「節」が改まるとされ、これを「初正月」と呼んでいる。本土の研究者はこれを「南島正月」と呼ぶ。


前に考察したように、沖縄諸島の南部はオーストロネシア文化圏の北の端とも考えられ、当然、このような南島的な来訪神=精霊が登場する。
マユンガナシが登場するのは旧暦九月であるから、南島では旧暦九月の刈り入れの時期が一年の節気、正月と考えられていることになり、それは日本の古代における一年の区切りに合致することとなる。収穫の秋に一年が終わり、暗黒の冬の年を迎えるというのは、稲作・雑穀に関わらず北半球農耕民族特有の観念である。一年が再開されるのは節分以後、田植え時期になる。あるいは夜の一年と昼の一年・・・つまり一年が二回あったとも考えられる。

石垣島では大晦日を「シツ=節」と呼び、旧暦九月、戌亥(つちのえいぬ=いぬい)の日(新月の日)から祭りをはじめる。マユンガナシに扮する男達は戌年生まれと決まっている。クバ=八重山地方でカヤにあたるか? を蓑にして、手ぬぐいでほうかむりし、笠をかぶる。つまり神の姿になって大きな杖を持ち、夜の島を練り歩く。「ムトゥ(本神)」と「トウム(供神)」の二者一組で、神の言葉である「カンフツ(神口)」という祝言を唱えながら明け方の一番鶏が鳴き終わるまでに村中の家を回り、家の繁栄、家人の健康を祝福していく。家人は彼らに十分な接待を与える。

二者一組のムトゥとトウムの関係は、能で言えば「シテとワキ」にも類似し、来訪する神に接待をするのは「蘇民将来」を髣髴とさせる。


こうして各家々を訪問し終わったマユンガナシたちは最後にクラヤシキというかつての非常用米倉に戻ってくる。日本の祭りの多くも「仮宮」「お旅所」などを最終到着地や中継地、あるいは出発地にするが、これらもみなだいたいチガヤで葺いた簡易な米倉だったと見てよいだろう。つまりこの神は豊作祈願の神であり、それは稲魂だと見てよい。「クラ」とはもともと神います場所を指した。それが岩ならば岩倉であり、奉幣ならばミテグラであり、高い米倉ならタカミクラとなる。


祭りを終えて衣装をぬぐときに男達はニワトリの鳴きまねをする。この奇妙な行為を特別に「カムスディル=神孵と言う。つまりあの世の神から、この世の人間に「孵化」=生まれ変わることを意味している。
またこの行事だけは絶対に見てはならない秘事とされている。日本民話に多い「見るな」伝説がここにある。

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同じ石垣島宮良(みやら)の豊年祭には同類の精霊「アカマタ・クロマタ(撮影・報道一切禁止。かつては上陸も禁止だった。だから画像を探しても無駄である。)」が出現する祭りがある。
こちらはもっとものものしくススキをおったてた仮面をかぶる。そして体には重さ80キロ以上もある蔓草で編んだ着物を身に着ける。男役が赤、女役が黒の仮面をかぶり、赤い棒を両手に持って100余戸ある家々を二手に分かれて巡る。ちょうど東北のナマハゲや鹿児島のトシドンの「年神」に似ている。これは「厄落とし」の意味があるようである。一年の穢れをはらい、次の年の来訪をことほぐのである。この祭りも大晦日に行われる年越し行事である。つまり日本で言う「大歳の神祭り(『備後国風土記』逸文)の蘇民将来伝説」「来訪神」「大晦日おおつごもり」に相当する。仮面をつけて、体中を草木で覆う神という形態は、中国融水県のミャオ族に伝わる「マンガオ」にきわめて類似している。



貴州に集中するミャオ、プイ、チワン、スイ、ヤオ族たちには同類の来訪神、大歳型の祭りが多く、伊藤清司が収集している。もちろん北欧にも同様の精霊は存在する。北欧の場合、おそらくフン族による伝播が考えられる。

バイカル湖の北方系アジア人の世界的移動と、ミャオ、日本の石垣島などの南島人から鹿児島、東北人
の持つ祭祀観念にはなんらかの伝播する因縁があると考えられる。





参考文献 萩原秀三郎『稲と鳥と太陽の道 日本文化の原点を追う』大修館書店 1996
           『図説 日本人の原郷』小学館 1990
            『鬼の復権』吉川弘文館 2004など


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