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摩多羅神(またらじん)とは宿神のことを言うのであると川村湊や中沢新一や、さらには山本ひろ子たちが書いている。
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実際、日光山輪王寺所蔵の摩多羅神肖像画などの多くの摩多羅神像には二人の童子とともに背景に北斗七星が描かれており、摩多羅神=宿神=星宿信仰の構図はまず間違いがなかろう。
しかしながら『風姿花伝』の申楽縁起も、金春禅竹『明宿集』も、摩多羅神の名はひとことも現れていない。みな、「宿神」として書き表される。
宿神は「守宮神(しゅぐうじん)」とも言われ、一般的には「セキジン」「しゃぐじ」「しゃくじん」とも言い習わされてきた。いわゆる諏訪のミシャグジーもまた宿神であり、その本性は荒神である。
荒神とは文字通り荒ぶる神であり、時にスサノオを指し、時に牛頭天王を指し、あるときは阿修羅を指す。つまりインドの神が本地である。
それはなにか?

彌永信美は諸母天=マターラ天の音写ではあるまいかと想像している。
『渓嵐拾葉集』は摩訶迦羅天=大地母神・マハーカーラであるとしている。
母なる神ならば女性となってしまうが、あきらかに男性像で描かれる。
これはおそらく同じ荒ぶる母神である鬼子母神=訶梨帝母やダキニ天が後世、よく似た神々が平民の間で習合してしまった結果ではないだろうか。
スサノオもまた日本では荒ぶる新羅の神として描かれることから祇園信仰・牛頭天王と習合したわけであり、密教の本地垂迹が、日本人的な一人歩きした結果である。
その本性はあくまでも「祇園」すなわちカーリー神に基点がある。

これらは秦氏の根本信仰である聖徳太子という聖人と弥勒菩薩という「静なる存在」とはまったく正反対の荒れ狂う神なのである。つまり、秦氏の存在自体が本来、弥勒や聖徳太子や聖なるものに見守られなければ存続できぬ荒ぶる存在だったためではあるまいか?陰と陽、すなわち陰陽五行観念がここには存在する。

山背の秦氏がスサノオや祇園を信仰した記録は見えないが、豊前の秦氏である宇佐辛島氏にはスサノオ祖神という伝承記録や系図がある。秦の始皇帝子孫だという仮冒からはスサノオとのつながりなど想像すべくもないが、日本の荒ぶる神として人口に膾炙しつくしたスサノオならばこそ、平民には理解されやすかったであろう。そうした大黒天=大国主的な気ままな本地垂迹、混同は、民間信仰にははいて捨てるほどある。

『風姿花伝』がひたすら隠す「後ろ戸」の神であるはずの摩多羅神(広隆寺や大酒神社で言う摩吨羅神)こそが現れた悪神どもから「申楽」を以て払いのける歌舞音曲の神であり、それは風姿花伝書の「隠された花」なのではなかろうか?

なお、広隆寺牛祭の祝詞などが伝える摩吨羅の文字には、哪吒太子(なたたいし)のイメージもあったかも知れぬ。いずれにせよ、彼等はみな牛にまたがるのである。

ここに広隆寺牛祭の本性がある。
牛にまたがる神とはすなわち自然災害、猛威であり、それは摂理としての荒ぶる神の脅威なのである。つまり、牛祭もまた追儺であり、牛の供犠を必要とする「荒神鎮撫」なのではあるまいか?


つづく

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