平成14年、馬土坑や木製鞍、騎馬埴輪など馬牧関連遺物が大量に出土した、河内四条畷市の遺跡。
『新撰姓氏録』によれば河内にはたくさんの今来才伎(いまきのてひと)と呼ばれる渡来技術者が移住している。
その中で河内蔀屋の馬牧技術者として注目されるのは河内馬飼首荒籠(かわちの・うまかいの・おびと・あらこ)である。
低い身分ながら継体大王に寵愛された。越前にいた男大迹王(おほどの・おうきみ=継体)に皇位継承を納得させた人物であるから、今城塚古墳の馬埴輪に大きく関わりそうな渡来人である。

四条畷市蔀屋は、今、大阪東部の郊外都市、学研都市として繁栄しており、馬牧があったとはちょっと想像できにくい大きな町となっている。南野陽子の出身地。筆者にも勤務先として懐かしい思い出の場所。

五世紀当時、ここは馬牧とともに塩田が存在していた。
河内湖という汽水の潟湖がまだ残存して湿地帯であった。
それでこのあたりの特産品として馬以外に塩があったという。
遺跡からは製塩土器が出土している。
うすい土師器の小さな閉鎖中空容器で、ここに海水を入れて煮沸し、
蒸散後こびりついた塩を、容器を壊して掻き取る。その土器が山ほど出てくる。
一個から10グラムほどの塩が取れる。
ちょうど馬一頭がなめる必要量である。
馬は塩をなめる。
すべての動物は塩をなめないと活動停止してしまう。
それで馬と塩は切っても切れない関係にあるそうで、牧場は必ず海のそばにあったそうである。
現代の厩舎でも飼葉には必ず塩をまぜてあるそうである。
信州などの内陸部では山の岩塩を探すか、海辺の塩田から買い付けてこなければならなかった。
河内馬飼首たちは塩も当然作らねばならなかった。それで四条畷あたりの汽水周辺に住み着いたわけである。

蔀屋北遺跡の馬埋納土坑の遺骨は完全体で出土している。
あるいは馬犠牲であったのかも知れない。





With2ブログランキング  https://blog.with2.net/in.php?686171
ブログ王 <a href="http://www.doramix.com/rank/vote.php?id=32557";><strong>ランキングはこちらをクリック!</strong></a>



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Kawakatu’s HP   マジカルミステリーコレクション渡来と海人 http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/index.html
掲示板 http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs
古代史・民族学・人類学など掲示板 http://8911.teacup.com/kawakatu1205/bbs