生け贄と供犠の世界的広がり

『古語拾遺』
「神代に大地主(おおとこぬし)神、田つくりましし日に、牛のシシをもて田人に食わしめたまいき。時に御歳神の子、その田に至(き)まして、饗(みあえ)に唾きて還りまして、ありさまを父に告げましき。 御歳神、いかりまして、イナゴをその田に放ちたまいしかば、苗の葉たちまちに枯れ損なわれて、篠竹のごとなりき。ここに大地主神、片巫(かたかんなぎ)・肱巫(ひじかんなぎ)をして、その由を占求(うらな)わしめたまいしに、御歳神たたりをします。
 宜しく白猪・白馬・白鶏(しろかけ)を献りて、その怒りをなごめまつるべしともうすに、教えのまにまに謝(の)り奉りますときに、御歳神答えたまわく、実に吾が意ぞ。宜しく麻柄(あさがら)をもてカセをつくりてカセぎ、すなわちその葉をもて掃い、天押草(あめのおしぐさ)もて押し、烏扇(からすおおぎ)もて扇ぐべし。 もししかして出で去らずば、宜しく牛の宍をもて溝口におき、男茎(おはせ)の形を作りて加え、(ここでいう「牛の宍」「男茎」とは、男・女の性の印を意味する古語であって、これは、その神の怒りを鎮め、陰陽の和合を、称えたものである。)ツスダマ・ナルハジカミ・クルミ、また塩をもてその畔(あ)にまきおくべしとのたまいき。 すなわち、その教えのまにまにせしかば、苗の葉また茂りて、年穀豊稔(たなつものゆたか)なりき。これ今、神祇官に白猪・白馬・白鶏もて御歳神を祭ることの縁なり。」

『日本書紀』皇極天皇紀7月25日条
「村々の祝部(はふりべ)が教えたとおりに、牛や馬を殺し、それを供えて諸社の神々に祈ったり、市をしきりに移したり、河伯(かわのかみ)に祈祷したりしたが、さっぱり雨が降らないと相談すると、蘇我大臣は、「寺々で大乗経典を転読するのがよい。仏の説きたまうとおりに悔過(けか)をし、うやうやしく雨を祈ることとしよう」と答えた。」

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牛が登場して暴れる祭事の世界性

中国広西省壮(チワン)族自治区”舞春牛”行事
正月一日から15日まで行われる民間娯楽行事で、張り子の牛をかぶって行列しながら歌い踊る夜行祭事。日本のお田植え祭りや田楽、田遊び祭りなどの原型である。

貴州省イ族”ツォチェンジエ
翁と姥がエロチックに戯れたり、仮装した牛が暴れたりする祭り。

フレイザー『金枝篇』
中国の正月行事紹介記事
神農に見立てた牛の像を打ち壊す。また生きた牛のとさつも行われたとある。

東京都板橋区下赤塚の”田遊び”
太郎次とやすめの男女が戯れたりする。
奈良県田原本町池神社
鹿児島県川内市南方神社”太郎太郎祭り”
奈良県北葛城郡河合町広瀬河合神社
新潟県佐渡郡小木町滝の上小比叡神社”田遊び”
愛知県宝飯郡小坂井町菟足神社”田遊び”
静岡県榛原郡相良町蛭ヶ谷蛭児神社”田遊び”
など枚挙にいとまなし。

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こうした祭りで必ず牛が暴れる所作をしてみせるのは、牛が実際に生け贄にされていたという事実をデフォルメ化し、人が張り子を代用品として定着していったからである。

牛供儀習慣は弥生時代から存在していた。弥生遺跡から多くの牛骨祭祀とおぼしき痕跡が出土する。
7世紀、神奈川県横須賀市の「なたぎり」遺跡から牛骨祭祀あとが発掘されている。
このように動物供儀の日本における発生は弥生時代からが多いようである。
これらはあきらかに弥生人=倭族を示唆する資料である。
「倭人」の概念は中国からの倭族の移住と在地縄文系先住民(海洋民族)との混血によって生まれ出る。
ここにあとから「渡来」が混入して「日本人」は完成してゆくと考えられる。
それは日本語の形成とリンクしたと考えられる。


参考文献 星野 紘『人はなぜ歌い踊るのか』勉誠出版 2002




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