■伯耆国(鳥取県)の金属産業地名の集落別分布と地質分布図
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■出雲・石見・伯耆国の産鉄伝承分布図
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これまでの筆者の5年間の分析では、山陰地方に早くから入っていた氏族は

1 最も古くから入っていた隼人、久米、安曇系海人族=縄文時代からいた日本の「倭人」だろう。
2 東北の蝦夷勢力=縄文時代からいたもうひとつの倭人=越のヌナ川姫
3 筑紫から来る弥生人
3 日本海をダイレクトにやってきた2世紀の伽倻系倭種(松本清張に従えば『魏志』の倭とは韓半島系倭人、倭人とは日本列島系倭人だったことになる。清張並びに奥野正夫)
4 3世紀以降の?高句麗、百済系渡来人。これが「スサノオの降臨」。
6 葛城氏
7 その後、物部氏、和邇氏、尾張氏などが大和出雲氏の導きで入る。これが「国譲り」に当たるのだが、実際にはそれは大和における国譲りである。いくさの痕跡は伯耆にあるが、これは渡来と先住の小競り合いだろう。
出雲ではいくさではなく、次々と新しい勢力の柔らかな交替劇が起きたと見る。

記紀が書いた中臣氏と物部氏による出雲簒奪は、記紀による付会であることは明瞭。記紀そのものが藤原氏によって作為されているから中臣氏の取得権益を主張しただけであり、中臣氏は当時、物部氏の下にいた小集団に過ぎなかったと見る。中臣氏はこの頃はなにもしていない。

8 倭五王による大和統一(ヤマトタケルの出雲侵略=ワカタケル)で、大和縄文系ナガスネヒコたちの神霊が大社に封じこめられる。伊勢には大和の国魂つまり倭大国魂と大物主と出雲のナガスネヒコ=大国主=荒覇吐神が封じ込められる。

スサノオもよそから来て日本海側の鉄を奪う者である。すると先住者東北蝦夷たちは反駁する(ヤマタノオロチ)。

9 6世紀、継体大王の百済貿易中継港として接収される。

想像に過ぎるが、おおまかにこのような流れが日本海側に起きたのではあるまいか?
原因は港と砂鉄。

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