明治以降の日本の近代化は、ご存知のようにイギリス・ドイツなどのヨーロッパ文明のコピーから始まる。最近では、欧州史学から学んできた日本の史観も、脱ヨーロッパへと急速に向かい始めている。

日本が一時的に帝国主義・植民地主義へ傾いたのも、明治の各分野の賢人たちが持ち帰った西欧文明の影響である。

そしてそこには日本にもともとあった伝統的日本の観念との相克の歴史がある。このことを最初に指摘して、欧州一辺倒から脱却せよと、すでに1960年代に提唱した史学者が増田四郎である。

「日本でヨーロッパのことを研究するというのは、単に外国のことを研究するということ以上の大きな意味を持っている。というわけは、それはとりもなおさず日本の近代化の過程のなかで、自分たちの模範と仰いだ地域の歴史なり文化なり社会なり制度なりを理解するということなのであって、けっしてブラジルの研究をするとか、フィリピンの研究をするというのとは、その意味がまるで違う。日本の近代化のなかで、われわれの血となり肉となったある種の要素が、ヨーロッパの文物のなかにあったわけである。」
(増田四郎『ヨーロッパとは何か』岩波新書 1967)

明治時代に日本が学ぼうとした欧州史観とは、ヨーロッパが知的、学問的、政治経済においても絶頂期にあった18、9世紀のものである。それは「特殊史観」だった(海原峻)。ところが明治の日本人はそれをそのまま日本の歴史にあてはめようとした。そして無理やりにあてはまったものをそれが学問だ、それが科学的なのだという風潮を作ってしまった。

足元にある日本史を見過ごし、分析を怠り、神武東征とはアレキサンダーの征服戦争とおなじことだと思い込んでしまった。日本史は軽んぜられてきたのである。ところが神武などは架空の話であり、文明も、歴史も、信仰も欧州とは別物の歴史があるのが日本だった。西欧の一神教観念は天皇=神である日本と同じであるとさえ思い込み、それがために皇国史観を生んでもきたわけだ。

まちがいだらけの西欧史観は、今、是正されていくべきときにある。

わたしたちが人類史を語るとき、必ず出てくる新人というのがネアンデルタール人とクロマニョン人だが、これなどもあくまでもヨーロッパローカルな人骨である。それらはアジアでは出ては来ない。それなのに、ヨーロッパ史観は、人類はアフリカを出た後、欧州人とアジア人と中近東人などに分化したと考えて、まるでアジア人もそれらの子孫のように決めつけている。しかし中近東から枝分かれしていったのがわれわれならば、まずその中近東でもっと古い人骨を探さねばなるまい。

アフリカから追われて、寒冷地でったヨーロッパへ押し込められた「負け犬」である欧州人に比べ、アジア人は圧倒的に広大な自由空間であったアジア、アメリカ大陸、のみならず海の中の小島、ボルネオ、オーストラリアへと出立している。狭小な空間で国境を争いあったせこい彼等の歴史に比べて、われわれの歴史ははるかに多様で、はるかに哲学的な歴史を作ってきたわけである。

そういった意味を込めて、世界史を見直したいわけである。
本当に今の西欧科学と産業革命をこのまま信じていいのかどうか、答えはまさに地球環境の変化に現れてはいないだろうか?

その発想は、もっとよい世界、もっとよい未来へとつながっていく入り口なのではなかろうか?
徹底的に西欧文明を粛清し直したほうがいいのではないか?

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