★4法隆寺金堂薬師如来像光背銘文偽物の根拠


●「天皇」「大王天皇」「東宮」などの使用が仏教導入前の飛鳥時代にはまずない。
天皇の最古の使用例は飛鳥池遺跡出土の木簡で、これも天武・持統時代の木簡である。
中国では唐の高宗の時代に、国王の姓が老子と同じ李だったために老子を皇祖としてあおぎ、その用語であった天皇(てんこう)を用いたのがあったが、これを天武がまねたのが最初である。隋の時代ならば飛鳥に見合うが、唐の高宗ならば天智朝のことになる。いずれにせよ天皇呼称は聖徳太子の時代にあったはずもない。
●「東宮」と呼ばれたのは文武天皇からである。
●「聖王」という語句も新しい。
●病床の用明天皇が正妻の穴穂部間人王を呼ばずに娘の推古を招いたのは奇妙。
●銘文書体自体が飛鳥時代のものでない。
●彫刻様式があとから造られたはずの釈迦三尊像よりも新しい。
つまり薬師如来像も天智か持統が置いたものである。

★5三経義疏の疑問
●聖徳太子が書いたとされる三経義疏のうち、「法華義疏」は宮内庁に現存するが、これは法隆寺が宮内庁に寄贈した。法隆寺に奉納した人物は行信という怪しげな僧である。行信はいつのまにか光明皇后に取り入って力を持つのであるが、出自も不明であり、この義疏の出典はきわめて怪しい。太子の自筆と言ったのも行信であるが、そもそもこのときに義疏とともに法隆寺に寄進した太子の遺物がまずもってありえない。そのとき、すでに山背大兄が死んで太子が居住していた斑鳩宮は消失している。遺品などあるはずがない。
●また天智時代には法隆寺そのものも落雷で消失しており、かりに万に一つ残っていた遺品も、このときに消失したはずである。
●ということは玉虫厨子さえも偽物の疑いが生じてくる。
●太子の仏教の師は高句麗僧の慧慈(えじ)であるが、「法華義疏」の教義は随分慧慈の教義とは違っている(曽根正人2007
8)
●敦煌から出土した「勝髯義疏本義」の内容が太子作「勝髯経義疏」と七割強そっくりであり、「三経義疏」のすべては中国製と考えられる。

★伊予湯岡碑文の後世偽造の根拠


『伊予国風土記』から
●万葉歌人・山部赤人は伊予の歌を歌っているがその中にあっていいはずのこの碑文を称える歌がない。まして聖徳太子を称える歌もないし、さらには厩戸にも和歌を歌った形跡もない。スサノオが歌ったと書きながら、和歌を歌う貴人が飛鳥時代にはいないことも『日本書紀』そのもののウソを示している。
●「法興6年」という私的な年号は596年に当たり、このときの太子はまだ23歳。それがすでに「法王大王」と書かれている。遣隋使さえまだ派遣されていないのだから、国交のなかった中国の呼称などあるはずもない。もちろん「法興」などという年号も『古事記』にはなく、『日本書紀』だけが書いたのだから、法興年号を使えるはずもない。
●実は風土記編纂は平安時代にも行われていて、風土記そのものの加筆修正、あるいは入れ違いもありうるので、風土記の信憑性自体が最近問われている。
つまり碑文はまずもって風土記編纂のあとに設置されたという見解になる。

■■要するにすべての聖徳太子伝説は八世紀の『日本書紀』成立後に、『日本書紀』記述に併せて捏造されたものだという結論になると大山は書いている。
これをもって聖徳太子は藤原不比等の捏造であり、長屋王暗殺は光明皇后が不比等死後仕組み、それは『日本書紀』編纂にたずさわった長屋王がすべての捏造を知っていたからであると考えられる。もちろんそれこそが不比等と長屋のそりが合わなくなった原因であろうことも充分考えられる。

■藤原不比等が天皇にしたかった皇子のすべては天武の子どもたちであるかに見えるが、それは天智の娘である持統のはらからなのである。草壁(病死)しかり軽(文武)しかりである。つまり持統からこそが藤原家にとっての皇室。私的な王権だったのである。そして決して葛城氏、物部氏、蘇我氏のように別の王家になるような表だった動きは見せず、黒子に徹することが、律令政治成功への道だった。そのためには天智と鎌足が考案した聖徳太子像を最優先した。それは娘の光明皇后も持統天皇も同じだった。そうしなければ白村江で大敗北した「地に落ちた大王」天智を悪魔の評価から救い出す方法はなかった。長屋王の冤罪は不比等のあと、四家嫡男すべてが病死したあと、同族だった橘一族の手で晴らされた。
光明皇后は母親である縣犬養橘三千代が他界したとき、悲嘆にくれて大粒の涙を流したという。けれど果たしてその涙は本物だったのか?橘諸兄と藤原仲麻呂の確執はその直後始まっている。

つづく
参考文献大山誠一『天孫降臨の夢 藤原不比等のプロジェクト』NHKBooks 2009



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