●枕草子 第一五八段 うらやましげなるもの…
■清少納言・『枕草子』「うらやましげなるもの」

「稲荷に思ひおこしてまうでたるに、中のみやしろのほど、わりなうくるしきを、念じのぼるに、いささか苦しげもなく、おくれて来るとみる者どもの、ただ行きに先立ちてまうづる、いとめでたし。二月午の日の暁にいそぎしかど、坂のなからばかりにあゆみしかば、巳の時ばかりになりにけり。やうやう暑くさへなりて、まことにわびしくて、など、かからでよき日もあらんものを、なにしに詣でつらんとまで、涙もおちてやすみ困ずるに、四十よばかりなる女の、壺装束などにはあらで、ただひきはこえたるが、「まろは七度詣でし侍るぞ。三度は詣でぬ。いま四度はことにもあらず。まだ未に下向しぬべし」と、道にあひたる人にうちいて下りいきしこそ、ただなる所には目にもとまるまじきに、これが身にただいまならばやとおぼえしか。

<訳文>
うらやましいもの…
 思い立って伏見稲荷にお参りしたところ、中の御社のあたりが道もけわしくて息苦しいのを我慢して昇ってゆくと、自分よりあとのものが、なんの苦しそうな様子でもなく、らくらくと先にお参りに行く。うらやましいことであった。
 二月の午の日のことで、明け方早々に出たのだが、坂を半分くらい登ってきたところでもう午前十時ごろになってしまった。だんだんと暑くさえなり、つくづくといやいなって、
「何もこんな苦労しないでも世間にはお参りしない人さえあるのに、どうしてこんなことを思い立ったのかしら」
とまで思いこみ、涙さえこぼして、休んでいると、三十すぎとみえる女で、壺装束などと、旅じたくしない普段着のすそをはしょったものがきて、
「私は今日は七回お参りするつもりなんです。もうこれで三度。あと四回はらくですよ。昼すぎの二時には、下山できますでしょう」
と、道ずりのひとに話しながらおりてゆく。こうゆうひとはめったにないであろうが、その時は自分もああいう女のひとになりたいと思った。http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/7030/tabi1/4-7/158dan.html

■『古今著聞集』
和泉式部が稲荷に参る途中、田中明神の辺りで時雨れてきたので、稲刈りをしていた童から襖(アオ、上着)を借りて参詣を済ませ、帰りには晴れてきたので童に返した。次の日、式部がふと見やると、部屋の隅に“大きやかなる童”が手紙をもって佇んでいた。手紙には「時雨れする稲荷の山の紅葉は あおかりしより 思いそめてき」とあった。この歌に心打たれた式部は、童を部屋に招き入れた
http://www3.ocn.ne.jp/~tohara/inari-sankeiki.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「(清少納言について)わかっている経歴のなかに”晩年は京都近郊の月輪山荘に住む”とあって、ぼくをはっとさせた。」
「『枕草子』の一五八段「うらやましげなるもの」に清少納言の稲荷詣の体験が語られている。」

「和泉式部の稲荷参りは鎌倉時代中期にできた『古今著聞集』にでている。」(森浩一)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


・・・・和泉式部は好色の美人である。
田で逢ったわらべが翌日には大童(おおわらわ)に変化して式部の家を訪ねる。式部はこれを家内に引き込むという話である。
つまり肉欲を求めていた式部と稲荷の神の交合=感応を示す稀有な告白小説。


面白いと思ったらクリックよろしく!↓

If you feel this article if interesting, please make a ranking click. I ask!
재미있다고 생각하면 클릭 잘! ↓
刚想==有趣单击适当地!↓
↓       ↓          ↓
にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・古代史へ
にほんブログ村 小説ブログ ノンフィクションへ
科学ブログ 人文・社会科学へ