現代日本でも「狐憑き」などという迷信は未だに頑迷に宗教の微妙な内外や、民衆の心理の片隅に存在している。さて、それでは狐という動物に日本人が憑依性・信仰性を見るようになるのはいったいいつ頃からなのだろうか?



■日本の文献に最初に狐が登場するのは『日本書紀』、西暦では657年に相当する石見国(島根県西部)の白狐が最初である。
『日本書紀』には今一度、二年後の659年相当にあったらしき記事で「葛の末を噛み切って去った」狐が登場するきりである。『古事記』には一切狐は現れていない。

「らしき」と書いたのは、そもそもが『日本書紀』の記述はそれが書かれた8世紀当時の知識だったからで、657年とか、○○天皇紀とか時代を限定してあったところで、所詮は8世紀の認識であるに過ぎず、本当にその時代にあった話かどうかなど誰も知る由もないからだ。

しかしながら、少なくともすでに8世紀には「狐は葛の葉の末を噛むもの」という認識があったことは間違いあるまい。

■『万葉集』にはただ一首が残されている。
    
    鐺に湯沸かせ子ども櫟津の 檜橋より来む狐に浴むさむ
      さしなべにゆわかせこどもいちひつの ひはしよりこむきつねにあむさむ

作者は八世紀前半の歌人・長忌寸意吉麿ゆえ、やはり8世紀がわが国の狐登場の嚆矢となる。
しかしながらこの段階では、ヘビやワニ、狼、鹿、イノシシなどのようには、狐はまだ神とか、神の顕現した依代(ヨリシロ)としては認識されてはいなかったようである。

■『六国史』全体では、狐が白狐とか玄狐とかいった、いわゆる瑞兆として出てくる記事は五回ばかり存在している。それらはみな縁起のいい瑞兆記事で、そういった白い動物などが瑞兆とされたのは中国の影響だった。
その後、延暦元年を最後にして、しばらく日本の文献から狐は忽然と姿をくらましてしまう。では貴族階級の観念から消えた瑞兆としての狐記事は民間ではどうだろう。



■『日本霊異記』(8~9世紀)の記事では・・・
「昔、欽明天皇の御代(539~571)のこと、美濃国大野郡の男が、妻にむかえるため美しい女をさがしに出かけたところ、広い野原で美しい女と遇った。女が馴れ馴れしく艶なそぶりをしたので、男は目くばせして「娘さん、どこへ行くの」と尋ねた。女は「お婿さんをさがしているの」という。
 意気投合し、結婚し、しばらくして男の子が生まれた。ときに、その家の飼い犬も12月15日に子を生んだ。その子犬は妻を見ると睨み吠え掛かるので、妻はおそれて夫に「此の犬を打ち殺して」といったが、夫はかわいそうに思い殺さずにいた。
 2・3月の頃、用意していた米を搗いていた時のこと、妻が米搗き女らに昼食を用意するために碓屋(からうすや)に入った。すると親犬が、妻に噛み付こうとして吠え掛かった。妻はおびえて、野干(きつね)となって籠に上がって座っていた。
 これを見て夫は言った。「お前と私の間には子供まであるではないか。私はお前を忘れない。いつでもやって来い、いっしょに寝よう」。狐はその言葉から、いつも来ては泊まっていった。それゆえ、この女を支都禰(きつね)と呼ぶようになった。
 あるとき妻が紅の襴染の裳(裾を赤く染めたスカート状の服)を着てやって来て、どこへともなく去っていった。夫は去り行く妻を恋いて歌った。

 恋は皆我が上に落ちぬたまかぎるはろかに見えて去にし子ゆゑに

 二人の間にできた子を岐都禰(きつね)と名づけ、また、その子の姓を「狐の直(きつねのあたへ)」とつけた。その子はすごく力が強く、走るのは鳥が飛ぶように速かった。美濃国の「狐直」という姓の起こりはこのとおりである。」http://www.withfox.jp/nihonryouiki.html

■民衆段階でもまだ、狐には悪いイメージはない。ただなにがしかの霊力的なもの、それが女に変身する、そしてイヌ科動物の子孫が始祖となるなどの「犬祖伝説」の部分などがすでに表出していたことが見える。
犬祖伝説自体は大陸の北方のオロチョンやイヌイット、また南方のミャオなどの少数民族に共通して存在する観念である。守屋俊彦や長野一雄らは狐直を渡来系豪農であるとするが、納屋とは「碓(うす)を引く小屋」であり、それは豊穣を祈願する仮宮のことかと推測し、話の節目節目の季節はちょうど種まき、田植え、稲刈り貯蔵の時期にフィットしており、これは稲作儀礼の説話であるとしている。

狐直が渡来系であるとする理由はなんら表明されていない。下出積与は狐はあくまでも田の神であるとし、丸山顕徳は地方の渡来系氏族とする。(以上、中村禎里)



■狐直とは何者だろうか?
そもそも『日本霊異記』(日本現報善悪霊異記)は庶民の伝承説話であるのに、全文漢文で書かれているというかなり高い知識の持ち主によって作られた。題名からも仏教説話であろうし、道徳書、寓話集でもあろう。ややマッコウくさいところはどうも中国の説話集に近いところもあり、そのとおり作者は僧侶であった景戒。つまり民間にあった寺の和尚が集めた仏教的戒めを主目的とした寓話集である。漢文でかかれたところを見ても、あきらかに中国の説話集の影響下にある。

同じ説話集で中世の『今昔物語集』には、これは以前にも紹介した「美濃狐」の逸話があり、これと先の「霊異記」の話にはどうやらなんらかの関連があるようだ。

「今は昔、聖武天皇の御代、美濃国の方県の郡、小川の市に、美濃狐という名の極めて力の強い大きな女がいて、その力をたのみ、商人から荷物を奪い取るのを業にしていた。
 また、尾張の国、愛智の郡片輪の郷(名古屋市付近)にも力の強い女がいて、こちらは小さかった。この女は道場法師という元興寺の僧の子孫であった。
 尾張の女は美濃狐が悪行を働いていることを聞き、力を試してやろうと、蛤五十石、熊葛(くまつづら)の練鞭二十本を積んで美濃へ行ったところ、うわさ通り美濃狐が出てきて蛤を取り上げてしまった。そこで尾張の女は美濃狐を熊葛の鞭で打ち、懲らしめたため、美濃狐は悪行をやめ、人々は安心して交易できるようになった。」
http://www.eonet.ne.jp/~temb/6/Zyomon3.htm#第三章、3、美濃と尾張

「美濃の大野郡は根尾川の西岸にあり、北方町のすぐ近くですから、やはりこのあたりが方県郡の小川だったのでしょう。先の話の美濃狐はこの男の後裔ということになります。したがって、狐直とされる氏族は最も古い帰化人、呉系と考えて良さそうです。狐は姫姓(=ヒメ)のトーテムなので、ほとんどの場合、女狐の形で現れます。」同上サイト

狐が「呉系」である証拠はどこにあるかはまったく書いておられないが、中国南朝の呉越などは確かに神仙思想のメッカで、ありえる気もする。
というのは、例えば三角縁神獣鏡などにも神獣をトーテムとした氏族の存在や、陰陽五行の観念が見られるゆえに、中国に限定するならこのような犬祖的な発想は南方系と見てよかろう。

それで美濃国の大野郡などには、そいう呉からの渡来が住まっていたらしいことは想像できる。ただしあくまで推量の域を出てはいない。

■いずれにせよ、8世紀以降、なぜか貴族社会からは忌み嫌われ始めた?らしき狐と、その霊威という中国南方系説話のたぐいは、むしろ民間で広く説話となって浸透してゆくことがわかれば今回はそれでよかろう。要するにこれ以後、特に平安時代になってから怨霊思想などとともに貴族社会に復活する怨霊や憑依の観念の根っこは、ひとまず民衆と僧侶によって列島の底辺に染み渡っていったということになる。これが民俗学から見える歴史である。
ここから出てきたのが安倍晴明伝説だと気づいてもらえればひとまずそれでよい。
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